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北京五輪特集
【特集】競泳日本代表・北川麻美インタビュー/before Olympic Games
北京オリンピック開幕まであと30日を切った。世界中を感動の渦に巻き込むであろう、熱き戦いが始まろうとしている。早大水泳部からも現役生の北川麻美(スポ3)が競泳日本代表としてオリンピック初出場!見事200メートル個人メドレーを制して出場権を掴み取った日本選手権兼五輪代表選手選考会の振り返りから北京への抱負まで、代表決定1週間後に語っていただきました。
――北京五輪出場決定、本当におめでとうございます。1週間経ちましたが実感は
選ばれた時は嬉しいだけだったんですけど、今日までのこの1週間、代表メンバーで合宿をして、嬉しいだけじゃなくてやっぱり自覚も必要なんだなっていうのを改めて感じました。
――合宿はいかがでしたか
やっぱりいい雰囲気で、チームも結構まとまってて、楽しかったです。
――今回の代表31名中23名が五輪初出場で、若い選手も結構多いですよね
そうですね。でもやっぱ平均年齢は高い方だと思いますけど。
――北島康介(日本コカ・コーラ)選手が主将ですが、北川選手にとってはどんな存在ですか
たぶん日本のチームの誰もがあこがれている人だと思います。経験もいっぱいしてますし、わからないこととかがあったら色々聞いたりして、いいところを自分で吸収できたらいいなと思います。
――ワセダの先輩の藤井拓郎(平20スポ卒=現・KONAMI)選手も同じく代表に決まりましたね
そうですね。自分が最初に決まって、拓郎さんも後から決まって、拓郎さんにとっては私なんてあまり関係ないと思うんですけど、流れは作れたっていう面ではよかったかなと思います。
――尊敬する選手に藤井選手の名前を挙げていましたが
はい。IM(個人メドレー)として尊敬する人です。拓郎さんは私と違って、前からIMをやっていて、4泳法の中で1つも不得意な種目がないので、私もIMの選手として試合に出るからには苦手な種目を克服して、4泳法を均等に泳げればいいなと。しかも結構どん欲な人で、練習とかも真面目にやってますし、やる時はやるというところも尊敬してるので、一緒に出れて嬉しいです。
「可能性がある限りレースに出たい」
――では時系列に沿って、日本選手権のことを中心にお話を伺いたいと思います。今回のエントリー種目(200メートル個人メドレー、100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎ、100メートル自由形)はご自身で決められたんですか
日程的に1ブレ(100メートル平泳ぎ)と2個メ(200メートル個人メドレー)は決めました。あとどうするかってコーチと話してて、エントリーする時もどっちかを削ろうとしたんですけど、やっぱり可能性がある限り、削ってしまうのはちょっと心残りがあったので、一応エントリーしておいて、決まった時点で(出場するかは)決めようってことにしてあったんで、まあ自分でエントリーは決めましたね。
※大会2日目:100メートル平泳ぎ予選・準決勝
3日目:200メートル個人メドレー予選・準決勝、100メートル平泳ぎ決勝
4日目:200メートル個人メドレー決勝
5日目:100メートル自由形予選・準決勝、200メートル平泳ぎ予選・準決勝
6日目:100メートル自由形決勝、100メートル平泳ぎ決勝
――かなりハードな日程だったと思いますが
2個メ終わった時点で両方とも(100メートル自由形、200メートル平泳ぎ)出るっていうのは決めました。自己ベストを目標にやっていましたし、可能性がある限り出たかったので。2個メで(五輪出場が)決まった時点で終わっても良かったんですけど、それだと満足し切って終わっちゃう自分もあまり嫌だったので、もう1回フリー(自由形)と2ブレ(200メートル平泳ぎ)で自己ベストを狙って気持ち良く終わりたかったので、出ることは決めましたね。
――「可能性がある限り」というと、やはりすべて五輪出場を狙っていたということですか
オリンピック…んーそうですね。2ブレの2番を狙うよりかは1フリの1番を狙った方が良いっていう声もありましたし、実際そんな簡単なものじゃなかったんですけど、そういうことも出てみないとわからなかったし。もし出てなかったら、私行けたんじゃないの?って言ってたかもしれないし。レースに出てみることで現実がわかったので、それも良かったと思います。
――2月に行われた短水路では3冠、日本新記録も樹立されましたが、日本選手権に向けて自信にはなりましたか
そうですね。でもあの時狙っていた個人メドレーの方で(日本新を)出せなくて、無我夢中で泳いだ1ブレの方で(日本新が)出たので、そういう面ではちゃんと狙って出せるようにしないと今後はきついのかなっていうのはあります。でも平泳ぎで(日本新を)出せたことに対しては自信にはなりましたね。
――その後のグアム合宿はどうでしたか
結構いい感じで練習できてたので、あとは4月戻ってきてからの調整だけだと思ってたので、そんなに不安っていうのはなかったです。
――ブレスト(平泳ぎ)で大きい泳ぎをするように修正したとおっしゃっていましたが、それはその辺りで取り組んでいたのですか
そうですね。2月のインターの合宿でグアム行ってから、泳ぎがどんどん大きくなってたのが自分でもわかってたので。大きく泳ぐことを意識しすぎてスピード力に欠けたかなっていうのが最後の反省点なんですが、ストローク数にこだわらなくても少ない回数で泳げてたので、そこを今後のスピードアップに上手く繋げていきたいなと思います。
「周りもどんどん速くなっていくし、置いていかれたくはない」
――日本選手権1種目目、100メートル平泳ぎ・準決勝の後「体が思ったより動かなかった」とおっしゃってましたが、辰巳(東京辰巳国際水泳場)に入った時はあまり調子は良くなかったんですか
いや。んー感覚は悪くなく、特別良くもなく普通な感じだったんですけど、そこでストローク数とタイムで比較すると、比較的良かったのでそこで安心しちゃった部分があって、もうちょっと100に向けたスピードアップの調整の仕方があったんじゃないかなとは思いました。
――100メートル平泳ぎ・決勝の1つ前のレースで、伊藤華英(セントラルスポーツ)選手が日本新記録で優勝されて会場がとても沸いていましたが、何か影響はありましたか
私自身も中村礼子(東京SC)さんが勝つと思ってたし、みんなそういうレースになると思ってたと思うんですが、華英さんが勝ったことによって、私は2コースだったんですけど、端のコースからでも勝てるチャンスはあるのかなとは思いましたね。
※決勝では、準決勝のタイムが速い順に4、5、3、6、2…コースとなっている
――決勝レース後に「やっと3年前の自分に戻れた」とおっしゃっていましたが、1分8秒63は高3のインターハイで出したベストタイムと同タイムということもあると思いますが、他に意味は
全く感覚は(高3の時とは)別物で、やっぱり高校の時はもっと低いものを目指していて、そのタイムが出てすごい満足な結果で、今の自分はもっと高いものを目指していて、その結果が3年前の8秒63っていうタイムだったんですけど、やっぱり意識の違いで感覚とかも変わってくると思うし。「3年前の自分に戻った」って言ったのは強がってた自分もいて…正直ほんっとに悔しくて、3年かけてもベストタイムしか出ない自分にも腹が立つし、こういう大きな場で上位の争いに入っていけない自分も悔しかったですし、そういう面では今回の8秒63には正直、満足してなくて。かと言って、その前に個人メドレーがあって、それに出てなかったらっていう問題でもないと思うので、やっぱり自分の弱さが出たと思うし、決めたレースで自分を出せないっていうのは、みんなから劣っている部分だと思うので。ここがやっとスタートラインですね。やっぱりベストをどんどん出していかないと周りもどんどん速くなっていくし、置いていかれたくはないので、目標はもっと高く持って頑張りたいと思います。
「みんなの応援をほんっとに無駄にしたくなかった」
――その後、割とすぐに翌日の2個メの方に気持ちは切り替えられたようですが
やっぱり狙えるとしたら後は2個メしかないと思ってたので、1ブレで8秒6が出たのも調子は悪くないんだって思えましたし、他の人からも「ここで勢いついたから明日は絶対いけるからダメだとか思うな」って言われましたし、やっぱり気持ちが大事っていうのは自分自身わかっていたので、最後までやってみようって思って、そこはすぐ気持ちは り替えました。
――留学でずっと日本の大会には出場していなかった春口沙緒里(大野城)選手と、2個メ予選・準決勝と接戦でしたが、存在は大会前から意識していましたか
いや、全くなかったです。2個メにエントリーしているのも予想外のことで、ずっとアメリカでやっていたので、私の視野には入っていませんでした。まあビックリしたと言えばビックリしたんですけど、1日目の4個メ(400メートル個人メドレー)を見ていて、2個メも相当来るなっていうのは思っていたので、そこまで驚きはしなかったですね。
――2個メの決勝レース前にはやっぱり泣いちゃったとおっしゃってましたが
ほんっとに今までないぐらいのプレッシャー…ただ単に自分で感じてたプレッシャーなんですけど、やっぱり家族もみんな見に来てましたし、スイミングの子もわざわざ来てくれてましたし、ワセダのみんなもスタンドで応援してくれてましたし、他のスウィン(北川が所属するチーム)の子も応援に来てくれてたので、みんなの応援をほんっとに無駄にしたくなくて、そうするには結果を残すしかないと思ってたので、周りは続々と決まっていきますし、ほんっとに緊張しましたね。
――そこでどうやって極度のプレッシャーをはねのけてレースに集中させたのですが
んーやっぱり親からは、「勝負にこだわったら絶対にオリンピックには行けない。優勝したいなら勝負にこだわっていいけど、オリンピックに行きたいなら、勝負は捨てて記録にこだわれ」って言われてたので、派遣の標準(記録)を切るとすると、間があくって言われてたので、そうなった時に気を抜かないでタッチまでしっかりやれって言われてて、それだけを考えて、絶対に自分のレースっていうのを考えて、あとは応援してくれる人には泣いた顔を見せたくなかったので、笑顔で応えたかったし…そういうことを考えました。
「絶対これはいけるってその時点で勝ちは確信しましたね」
――大会前までのベストとラップを比較しても速いと思いますが、バッタ(バタフライ)が調子良かったんですよね
はい、そこを生かすしかないと思ってたので。バックの時点で周りから離されてると今の自分だと気持ちが焦っちゃって、勝負にこだわってしまうと思ったので、とにかくバッタとバックで周りに引けをとらないように、バッタが調子良かったっていうのを利用して、絶対バッタは1番で入って、バックでその差を詰められないで、ブレストで自分の泳ぎをして、フリーは粘ろうと思って泳ぎました。
――バッタからバック(背泳ぎ)のターン後にタイムが見えると思いますが、電光掲示板は見ましたか
いや、決勝はそんな余裕なかったです(笑)。無我夢中で。
――バックで周りにおいつかれても(3位)、次は得意なブレストなのでやっぱり焦りはなかったですか
そうですね。自分が思っていたより、隣の酒井菜穂子(山梨学院大)ちゃんと差が開かなかったですし、藤野舞子(FBインター)さんが来てないのもわかったので、絶対これはいけるってその時点で勝ちは確信しましたね。
――ラストのフリーあたりで派遣標準記録を切れるという感覚はありましたか
いや、思ったよりラストのフリーはバテたので、いけるなって思ったのはほんとに一瞬もなくて。もうブレストが終わった時点でいっぱいいっぱいだったので、ほんとに無我夢中で最後のタッチまで泳ぎましたね。
――タッチしてタイムを確認してどんな気持ちでしたか
13(秒)って見た瞬間に、もうやったーって感じでしたね。
「最後まであきらめない気持ちが良かった」
――では五輪出場権を得られた1番の要因は何だと思いますか
やっぱり最後まであきらめなかったことですかね。今までの自分なら、ブレストで勝ちを確信した瞬間にもういいやーって思っちゃってたと思うんですけど、今回は記録にこだわったおかげで、やっぱり最後まであきらめずにタッチできましたし、苦しくても家族からの「絶対諦めるな」って言葉を思い出してたんで、その言葉があったから最後までタッチできましたし、今回はあきらめない気持ちが1番良かったんじゃないかと思います。
――代表決定した後のレースのモチベーション維持は難しくなかったですか
やらなきゃっていう変な気持ちはなくて、とにかく両方とも自己ベストを目指して、準決勝にも決勝にも残るっていうのがその時に決めた目標だったので。もう1回みんなと勝負するっていう意味もあって。
――レース後は浮かない表情でしたが、振り返っていかがですか
まあそんなに甘くないなと。さっきOBの方にも言われたんですけど、欲張り過ぎちゃだめだと。確かにそうだなって思って。どれかに絞ってそれだけを頑張るっていう強さとかも必要なのかなって。
――古賀(淳也=スポ3)選手は対照的に100メートル背泳ぎ以外は棄権されていましたが
私が全部出たっていうのは、淳也が棄権したっていうのもちょっと影響していて。淳也はチャレンジする前に全部切ったじゃないですか。私はそういうことは絶対にしたくなくて。彼にも(レースに)出てれば出た分だけチャンスとか可能性が絶対あったと思うんですよ。それを満足したからって言ってたんですけど、後々自分は逃げてたんじゃないかなって言っていて。彼が逃げてたとはあんま思わないですけど、自分で決めたことを最後までやり通したかったんで、最初からもういいって思うんじゃなくて、どこまでできるかやってみようって思って、私は(4種目全部)出ましたね。
――結果的にすべて出場してよかったと思いますか
そうですね。体はほんっとにしんどかったんですけど、全く後悔はしてません。
――6日間、北川選手のレースがあったのは5日間ですが、長かったですか
すっごい長かったです(笑)。
――奥野(景介=昭63教卒)監督が「この大会で成長した」とおっしゃっていましたが
1ブレ終わった後、奥野さんに「十分勢いついたから明日は絶対いける」って言われたんですけど、周りが支えてくれたお陰かなと。
――今ご指導を受けている山田清繁コーチはどんな方ですか
コーチは重要な部分しかやらなくて、後は自分でやれっていうタイプなので、自分のスタンスを貫くことができた大会になったと思いますね。
「オリンピックは小さい頃からずっと夢見てた場所」
――では北京五輪に関するお話を伺いたいと思います。現実的な目標として北京五輪を意識し始めたのはいつ頃ですか
4年前のアテネがあった年の夏に、初めて平泳ぎの方でオリンピック強化指定選手のタイムを突破して、そこは個人メドレーは全く考えてなかったんですけど、その時にもう少し速ければって思って、4年後は目指したいなと。
――シドニーとかアテネとかテレビ等でご覧になったと思いますが、オリンピックに対するイメージは
んーやっぱり見てるのと行くのとは違って、その場に立たないとわからないこともあると思うので。ただ話を聞く限り、相当すごいとこなんだなって思いますし、自分の中でもオリンピックは小さい頃からずっと夢見てた場所なので、その舞台に立てると思うと今からでも緊張しますけど、そういう場に立てることはすごい嬉しいことで、でもきっとまたすんごい緊張しますね(笑)。
――今ここに到達するまでで1番辛かった、苦しかった時期はありますか。モントリオールの世界水泳に出場できなかった時などは
んーどうだろう…。そうですかねー…。そうですね。高校2年の時にいきなり結果出しちゃって、その年の短水路で高校新も出して、周りがすごい北川きてる、北川きてるみたいになってて、そこに自分も乗っかっちゃってたんで、今思えばあれが当たり前の結果だったのかなと思いますし、その時の日本選手権で初めて決勝に残って、それで表彰台に上れたので、ちょっと自分が上を見過ぎていたのかなっていうのはありますね。
――その後は2週間ぐらいはプールに入るのも嫌だったと
はい。調子が悪くないのに(結果を)出せない自分がいて、こんなんでいいのかなーって思って。同世代の子達が選ばれましたし…泳ぐの辞めようかなと思いましたね。
――そこでもう一度頑張れたのは
やっぱりその時の高校の仲間とか、高校生はインターハイがあったので、(春日部)共栄高校も総合(優勝)を目指して、自分自身もそこでもう1回挽回しようとすぐに決められたので、そこからは迷いはなかったですね。
「大きな大会での自己ベストは最低かつ最高の目標」
――昨季のユニバーシアードや世界競泳などに出場されて、世界で戦う難しさは
やっぱり日本だとある程度、戦い方がわかりますけど、世界の選手は全く予想外の戦い方でくるので、やっぱり自分の泳ぎをしないと通用しないかなって。しかも自分の今のレベルだと全然歯が立たないので。
――2分13秒29はシーズン世界ランキングでは11位ぐらいに相当しますが
決勝に残るっていう目標から考えると、13秒じゃダメですし…これもオリンピックを経験した先輩が言ってたんですけど、決勝に残れば誰が優勝できるかわからないから、残った時のレースプランとか気持ちの心構えとかも必要だよって。イアン・ソープとかも、シドニーオリンピックの時にいろんなプレッシャーから緊張していたらしくて、周りのどんな有名な選手でも緊張はするものだから自分だけじゃないんだよって言ってて。あきらめなければ決勝にも残れるかもしれないって話を聞いて思いました。
――目標としてはさっきおっしゃっていたように決勝進出ですか
まあ結果的には決勝が目標ですけど、必ず自己ベストを。あと0.4秒のところに日本記録(2分12秒84)があるので、オリンピックっていう舞台で日本新を出すことができれば、すっごい自信になると思うし。私、世界大会がすごい弱くて、世界大会で自己記録を出したのはパンパシ(パンパシフィック選手権)だけで、世界大会で自己記録を出す難しさもこの2年間で十分わかってると思うし、ただ、だからこそ大きな大会で自己ベストを出すのは最低かつ最高の目標かなと思います。
――オリンピック前にジャパンオープンが行われますが、その位置づけは
やっぱり長水路(50メートルプール)で大会ができるのはすごく恵まれてると思います。まあまだコーチとも相談してないですし、考えてないですけど、長水路の大会は次に生かせるような大会にしたいですね。
――やはりブレストよりしばらくは個メ中心ですか
そうですね。今回はIMで(五輪に)行くので、IMの選手として自信を持たなきゃいけないし、自覚もしなきゃいけないし、IMを中心にやっていきます。
――レース前にするゲン担ぎとかありますか
えーゲン担ぎですか?
――レース前に必ず体は叩いてますよね
そうですね。必ず体は叩きますね。今回は特に手足が震えてたので、叩かずにはいられなかったので、めちゃ叩きましたね。
「今の私は家族がいなければ絶対ここにはいない」
――レース前にカメラに向かって笑顔でピースをされてますね
去年の世界水泳が終わった時に、日本選手権は絶対カメラに向かってピースしなって親に言われて、それで2個メで優勝できてからはずっとやってますね。
――ご家族のエピソードも多いですね
そうですね。必要以上にアドバイスをくれるので(笑)。姉はプラスのこともマイナスのことも容赦しないで全部言ってくれるので、周りには甘やかされても、姉だけは厳しいところをついてくるし、逆に周りからきついことを言われても、姉はここはよかったってフォローも入れてくれるし、お父さんはいつもビデオカメラ片手に会場に来て、家帰ったらそれを編集してDVDに入れてくれて、お母さんは絶対毎日車で送り迎えしてくれて、食事も全部考えてくれて、今の私は家族がいなければ絶対ここにはいないですね。
――北京まで応援に来られるんですか
たぶん来ると思いますね。ちょっとお金の問題があるんですけど(笑)。
「自分らしく、笑顔を見せられるように」
――北京のプールの方は結構良いみたいですね
はい。私はまだ行ってないですけど、友達は北京プレ大会に行って、また行きたいって言ってました。プールはいいプールだと思います。
――北京五輪でここを見て欲しいというところを教えてください
やっぱり個人メドレーは前半からいかないと絶対、自分のベストタイムも厳しいと思うし、積極的なレースをすることで自分にも自信がつくと思うので、前半の入りですね。後半は北川強いと思われてるので、前半こんなに速かったっけってみんなに思ってもらえるように、積極的なレースをしたいと思います。
――目標と意気込みを
自分らしく、自己ベストを更新できるように。あとは今までいろんな人に支えてもらって、応援してもらった結果がこのオリンピックの切符だと思うので、笑顔を見せられるように自己ベストを目標に頑張りたいです。
――では最後にホームページを見てくださる方にメッセージをお願いします
どんなことを言えばいいですかね?(笑)。(しばらく考えた後)私ってオリンピック代表の中で全然下の方だと思うので、名前も知られてないし、これが北川麻美なんだっていう風にみなさんに知ってもらえるように精一杯頑張りたいと思います。
(取材・編集 菅田早希)
◆北川麻美(きたがわ・あさみ)
1987年10月3日生まれ。
スポーツ科学部医科学科3年。埼玉・春日部共栄高出身。
【主な国際大会での実績】
2006年 パンパシフィック選手権 200メートル平泳ぎ 2位
400メートルメドレーリレー(第2泳者)2位
アジア大会 100メートル平泳ぎ 優勝
200メートル個人メドレー 2位
2007年 ユニバーシアード 100メートル平泳ぎ 5位
200メートル個人メドレー 7位
世界競泳インジャパン 100メートル平泳ぎ 8位
【北京オリンピック・競技日程】
200メートル個人メドレー
予選:8月11日、準決勝:8月12日、決勝:8月13日
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