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北京五輪特集
【特集】卓球日本代表・福原愛インタビュー/after Olympic Games
「一番大切な夢の舞台」オリンピック。その大舞台で福原愛(スポ2)は「悔いのないプレー」をやりきった。メダルにはわずかに及ばなかったものの、団体戦4位。シングルスでは日本人女子最高のベスト16。試合を終えた福原の顔は晴れ晴れとした笑顔で満ち溢れていた。北京での戦いから約1ヶ月経ったこの日。ワセダでの練習後に行われた早スポ初インタビュー。本人しか知らない戦いの裏側と北京五輪を終えた今感じることとは―。
―北京オリンピックはご自身にとってどういう大会でしたか
すごく自分を成長させてくれる大会だったと思います。
―オリンピックに対しての思いは
小さい時からオリンピックに出るのが夢でしたが、アテネオリンピックに出場した時は当時15歳で、自分が出て良いのかというのがすごくあって試合をしていたのですが、今回の北京は、多くの大会に出場して結果を残して、積み上げてきた世界ランキング上での推薦でしたので思い切って、堂々と戦うことが出来ました。オリンピックの位置付けというのは他の競技の人と違うかもしれませんが、一番大切な夢の舞台なので、北京に出場して力を出しきれたことは、今後の人生にとてもプラスになると思います。
―北京オリンピックを終えて今一番感じることは
オリンピックの1試合が普段の大会の100試合分くらいの重みがあります。
―それは疲労感とかそれまでの緊張感とかという意味ですか
充実感。戦っている最中や、試合後の充実感です。
―開会式では旗手を務めていらっしゃいましたが、いかがでしたか
初めはすごく緊張していてドキドキでしたが、大役を果すことができました。開会式での緊張のおかげで試合ではそこまで緊張しなかったです。
―旗はすごく重たいんですか
オリンピック前は(鈴木)桂治さんが何かあったら「絶対助けてやるから」と言ってくれていたのですが、当日、途中で手がプルプルしてきて、「桂治さん助けて」と思い、後ろ見たら桂治さんが(観客席に)手を振っていて全然見ていませんでした(笑)。でも知り合いの方々に手を振ったり、開会式自体が楽しかったので、そこまで重かったという印象はありません。
―開会式ではさまざまなショーなどがありましたが、印象に残っていることはありますか
実際は選手からはほとんど見えないんですよ。周りは選手で埋め尽くされていて。テレビで見た方がよっぽど見えると思いました。ただ歩いて1周して、待ってたという感じでしたね。でも花火や聖火が灯る瞬間はすごく印象に残っています。
―開会式が終わって卓球競技が始まる前はどのように過ごされましたか
開会式が8日、初戦は13日でした。7日に現地入りしたのですが、他の競技の人に比べると北京入りしたのが早かったので、試合までに北京に慣れることができましたし、練習も日本と同じようにできました。
―空港では沢山のファンの方に囲まれましたが
沢山の方々が来て下さりましたが、きちんとご挨拶はできなかったのですけど、嬉しかったです。
―選手村で印象に残っていることや他の選手との交流はありましたか
特に卓球は中国の方が多いので、親しい中国の選手や他国の選手の部屋を行き来したり、食堂でお話したりとすごく面白かったです。
―同じ部屋の選手は誰だったのですか
平野(早矢香=ミキハウス)さんです。でも3LDKになっていて、部屋が3つあり、卓球3人とテニス2人で3LDKを使っていました。部屋では杉山愛さんとも一緒でした。
―他の競技で仲良くなった選手とかもいますか
沢山いますね。杉山さんはもちろん同じ部屋だったので仲良く交流していただき、選手団の主将の鈴木桂治さんや、室伏さん、以前から親しい浜口京子さん、栗原さん、伊調千春さん、馨さん。本当に今回は前回のアテネより沢山の方々と交流を持つことができました。
―北京の雰囲気はいかがでしたか
シングルスでは、中国の張(怡寧=中国・WR=1)選手に負けてしまいましたが、張選手と戦っている時でも、中国の方が私の名前を呼んでくれたり、応援してくれて、すごく心強かったです。1試合目はすごく緊張していましたが、1試合目から暖かい声援をしてくださって、緊張は少しとけました。
―一緒に団体で戦われた平野選手、福岡春菜(中国電力)選手とはお互いどういう関係なのですか
私と平野さんは、私が6歳くらいで平野さんが9歳くらいの時からずっと知り合いです。福岡さんとは王子サーブを同じ先生に教えてもらったり、私が10歳で春ちゃんが14歳くらいの時からお友達です。今回は私生活でも長く一緒でしたが、すごく楽しく、オンとオフの切り替えがやり易かったです。
―オリンピックの初戦は小さい頃からのお知り合いのミャオ・ミャオ(豪州・WR=156)さんでしたがいかがでしたか
前回のアテネオリンピック初戦がミャオ・ミャオ選手で、今回の初戦もミャオミャオちゃんでやっぱり何か縁があるのかなと思いました。他の大会では一度もあたらないのにオリンピックで二度もあたるので、最後に「何か縁があるね」と言ってユニフォームを交換してきました。
―やりにくかったりしなかったですか
すごく仲が良くてメールもするお友達ですけど、やっぱり試合になると戦わなければいけないので、そういう面ではやりにくかったです。プレースタイルがやりにくいとか、そういうことはなかったです。
―スペイン戦はトップとラストで出場されましたが振り返っていかがでしたか
あの試合はオリンピックの中で本当に最悪な試合だったと思います。
―それでもラストは追いつかれて2−2から勝利されましたが、勝因は何だったんですか
でもあの試合は3−0で勝たなきゃいけない試合です。
―最大のライバルである韓国戦と戦う前の気持ちはいかがでしたか
大会前は2ヶ月間合宿をしてきて、対韓国戦をすごくたくさん練習してきました。私は苦手なカット打ちをたくさん練習していて、カットマン選手とすごく対戦したいと思っていましたが、結局一度もあたらなくて、他の選手に二度も負けてしまったのが悔しかったです。
―オーストリア戦の後は「五輪を最初からやり直したい」とおっしゃっていましたがどういう気持ちだったのですか
オーストリア戦くらいからようやく五輪での戦い方が分かってきて、やはりオリンピックは他の大会とは違うなというのを感じました。前回のオリンピックはシングルスだけの出場で、3回戦で負けてしまい気付かなかったですけど、今回は団体戦もありたくさん試合をすることが出来て、改めてオリンピックは戦い方が違うと思いました。自分が変えてないつもりでも相手がいつもと違っていたりしたので、4年に一度の重みというか、あらためて他の大会とは違うというのを実感しました。
―それは緊張とかなんですか
いえ、緊張ではないですね。
―オーストリア戦ではどういうところがよかったですか
途中から自分が戦術を変えたのも良かったと思いますが、その前に自分の戦い方をまったく変えることが出来たので、技術面とか戦術面とかではなく、精神的なものを含めて全体で「戦い方」を変えることが出来ました。
―新サーブとか報道されていましたけど、サーブっていうのは関係ないんですか
私昔から出しているのですけど、なぜかオリンピックはそういう報道もあるようです(笑)。新サーブではないですけど、ただ種類をちょっと増やしただけです。ただ、あの場面で思い切ってできて良かったと思っています。
―韓国戦で負けてから銅メダルを目指す敗者復活戦に回るときの気持ちの切り替えはいかがでしたか
大会前から2位で通過するということも想定内だったので、そこまでみんな落ち込んでいたというわけではなかったですけど。ただ、あそこまで簡単に負けてしまって、内容があまり良くなかったので、チームとしては少し落ちていました。でも、やっぱりせっかくオリンピックに来たので、最後まで諦めずに戦おうって気持ちを切り替えることができました。
―香港戦では逆転されましたが、どのような気持ちの変化があったのですか
あの試合くらいからですね。オーストリア戦で何かきっかけを掴めたような気がしていました。次の香港戦で戦い方というか、オリンピックに出場するまでというのが長くて、出場権を獲得するだけでも難しいので、ここで自分の納得しないプレーをして後悔するくらいだったら、自分のやりたいようにやって悔いの残らないように思い切って戦おうって途中から思うことが出来きました。そうしたら吹っ切れて、思い切って自分のプレーができるようになりました。
―香港戦のダブルスは平野選手と福原選手でしたが、それは事前の作戦だったんですか
前の日のミーティングです。大会前の日本にいる時からあのオーダーは決まっていました。
―香港戦の時だけですか
はい。香港戦だけですね。
―その理由というのは
監督に聞いてみないとわかりません(笑)。ただ私と平野さんのダブルスで勝てると思ったようです。あとは監督の指示に従い、ベストを尽くすだけでした。
―香港戦で平野選手が勝利したあと涙を流して喜ばれていましたが、そのときの気持ちはいかがでしたか
私は2月に行われた世界選手権団体戦で、ラスト5番手で戦ったことがあって、本当にすごく緊張するので気持ちもよくわかりました。代わってあげたいけれど、でも自分が出たから絶対勝てるって決まっているわけでもないです(笑)。多分私だったら、あの試合で5番手は勝てなかっただろうと思います。ただ、もう本当に平野さんに勝ってほしくて祈るような気持ちで見ていました。結果その試合で平野さんは3−0で勝つことが出来ました。始めからメダルを獲るには香港、韓国、シンガポールに勝たなければいけないというのはわかっていたことなので、香港に勝つことができた時は本当に嬉しかったです。
―香港戦の前日に練習相手を探されたというのを聞いたんですけど、3人しか帯同できなかったのですか
練習場に入れるIDカードや、試合会場に入れるIDカードが、日本女子チームは3枚でした。3人だとやはりどうしても効率よく練習はできないので、ちょうど戦型が似ている台湾チームの選手にお願いしたくて、台湾チームの監督に電話をして調整しました。
―韓国戦で同じ相手と戦うこととなりましたが、いかがでしたか
私はカット打ちの練習を本当に本当にたくさんしてきたんですよ!世界選手権の前にも毎日のように、もう1日の半分はカット打ちじゃないかというくらい練習したのに、世界選手権でも一度もあたりませんでした。そして今度こそは!と思い、すごく練習してきて、自分なりに自信はあって、戦い方もいつもはあそこまで相手の研究はしないのにビデオも何度も見て、勝つことだけを考えて練習したのに、また対戦できませんでした!(笑)カットマンとやれなかったというのは今回のオリンピックの心残りでもあります。
―韓国戦、予選と銅メダル決定戦で変えていったことはありますか
私は同じ相手と対戦でしたので変えましたけど、でも相手のほうがやはり1枚上手で、もっと研究されていました。
―韓国戦でチームとして気持ちの変化がありましたか
チームとしてメダル決定戦まで勝ち上がれたし、あとは思い切って戦おうという気持ちでした。私たちは予選リーグで一度負けているのだから挑戦者だし、負けた試合をちゃんと見て反省して、「今度こそは悔いが残らないように」と監督に言われていました。自分としてはもうここまで来たのだから、思い切ってやらないともったいないと思って、出し切るつもりでプレーしました。
―韓国戦はバックハンドのラリーが主となりましたけど、バックハンドで決めようという風に思ってプレーされていたのですか
お互いタイプがすごく似ていて、あの試合で唐さん(韓国・WR=26)とは4回目の対戦でした。お互いバックが主の選手なので得意なところでやっぱり勝ちたかったですね。
―それはバックハンドで勝ちたかったということですか
はい。そうですね。
―2ゲーム取られてから1ゲーム取りかえしたときの心境は
基本的に終わったゲームはほとんど忘れているタイプなので、次のセットのことを考えています。内容的には悪くはなかったと思っています。
―メダルを獲れずに終わりましたが、団体戦が終わったあとの気持ちは
今回の目標は団体戦でメダルを獲ることだったので、近藤先生が監督を努めるのは最後でしたし、近藤監督にメダルをかけたかったというのがすごくあって、世界選手権だったら3位決定戦がないので3位は両方ともメダルをもらえるのですけど、オリンピックはやはりすごく厳しかったですね。
―シングルスまで団体戦から2日空いていましたが、どういう風に気持ちを入れ替えていきましたか
シングルスに入るまで2日間あって、私は団体戦で完全燃焼してしまって。練習してきたものも全部出し切りましたし、空っぽでした。何をしていいかもわからなかったし。例えば、あれもこれもしたかったとかあれば、次のシングルスで生かそうと思えましたが、でも団体戦でみんなもすごく頑張って、結果は結果でしかないというのは分かっていましたが、やっぱり引きずっている部分もありました。メダルが獲れなかったというのと、あとはすべて出し切ったというのもあって、シングルスにどうつなげていこうかというのがありました。あの2日間はすごく練習したわけではないですね。技術とか戦術は全然問題なかったので、あとは精神面を自分でコントロールして、心理的なものだけを調整をしました。
―シングルスで張選手と対戦してみていかがでしたか
あ、その前に1試合あるのですけど大丈夫ですか(笑)。
―では、そこからお願いします(笑)。3回戦からの登場でした
シングルスの試合に入る前は団体戦のことがあったので、うまくできるかすごく不安だったのですけど、その初戦である3回戦のトルコ選手、中国の帰化選手ですが、思い切って戦うことができて納得いくプレーができました。その結果、張選手の試合にもつなげていくことができました。もし、3回戦が無くていきなり張選手とやっていたら、全然納得のいくプレーはできなかったと思います。
―張選手とオリンピックという舞台で戦ってみて感じるものはありましたか
張選手とは過去に何度か対戦したことがあって、大体、球質もわかりますし、アテネのシングルスチャンピオンです。世界ランクも1位ですし実力のある選手なのですが、やり難いということはなく、あえて言うならすごくやっていて面白かったです。
―試合後の笑顔が印象的でしたが、面白いというのは具体的にどのようなことですか
普段の練習なら決まっているボールなのに、世界一レベルの高い選手なので、それが返ってきたり、試合をしているのに練習をしているみたいで、言い方は悪いのですが、すごく楽しかったです。自分が練習してきた以上のものが出せたので、あの試合を通してまた強くなれたと思っています。あの試合をやるために4年間やってきたのだなって思えるような試合でした。
―ご自身の競技が終わって他の競技はご覧になりましたか
自分の試合が終わった後は、自分は旗手としての仕事じゃないですけど、桂治さんがずっと主将として各競技を応援していて、私の試合にも応援に来ていただきました。私も他の競技を見て絶対プラスになると思いましたし、応援したいと思ったので野球とシンクロを見に行きました。
―ワセダでの練習はどのくらいの頻度でされていますか
オリンピックがあったのでナショナルチームの合宿がすごく多くて、なかなかワセダには来ることができませんでした。リーグ戦が始まるので今はお邪魔させてもらっています(笑)。
―きょうの練習はいかがでしたか
きょうの練習自体は全然悪くないですけど、オリンピック終わってから用具を代えなきゃいけなくて、国際ルールと日本のルールとで全然違うので。それにちょっと苦戦しています。
―ワセダの中で仲の良い選手は
ワセダの中では亀崎(遥=スポ2)さんです。スポ科(スポーツ科学部)なのでいろいろとお世話になっています。あと、同期の男の子2人です。亀ちゃんと2人のスポ科の人とは仲が良いです。
―秋季関東学生リーグ戦(リーグ戦)に出場されると伺いましたが、学生の大会と国際大会で規模の違いは感じませんか(取材が行われたのはリーグ戦開幕前の9月7日)
私はどんな大会でも戦う気持ちは一緒ですし、出るからには絶対負けたくないですし、リーグ戦は特に団体戦なのでチームのみんなのためにも勝ちたいです。
―リーグ戦には1年の春に出場されていますが、印象は
あの時は2部だったので、今回は1部ですし、また全然違うと思うのですけど。でもリーグ戦に出るとやっぱり自分も学生なんだなぁっていうことを改めて実感しますね。
―最後の片付けみたいなこともやられていましたよね(笑)
はい、1年生ですし手伝わなきゃと思いまして(笑)。楽しかったです。
―負けられないというプレッシャーは感じますか
たぶんオリンピックに出場する前の自分だったら、負けられないっていう気持ちは強かったと思いますが、今は卓球がすごく楽しく面白いので、出場する大会すべての試合を思い切ってプレーして楽しむって言うとおかしいですけど、悔いのないプレーをすることだけを考えています。
―1年時は校歌に自信がないとおっしゃっていましたが、今は完ぺきですか
とりあえず1番は完ぺきです(笑)。
―リーグ戦は1ポイント決まるごとにベンチの応援が立ちますよね
本当に恥ずかしいです(笑)。1年生の春のときに出場して、チームメイトが試合をしているときに、私が座るのが早すぎたみたいで、今3年生の先輩に注意されました(笑)。「愛ちゃん座るの早過ぎ!」って言われました(笑)。恥ずかしいから早く座りたくて、みんな立って「ナイスボール!」って拍手をしているのですけど、もう一刻も早く座りたくて、座ったら注意されました(笑)。
―1部に上がりましたが、対戦したい選手や気になる大学とかはありますか
1部が初めてなので、また雰囲気も違うと思いますし、対戦する大学も違いますし、前回は2部で2位でしたが、今年は春で勝っていますし、今回私が出場したことで負けたというのは嫌です(笑)。優勝しなきゃなっていうのは感じますね。
―リーグ戦では殊勲賞などの賞は狙っていますか
1年生のときは新人賞が欲しかったですね(笑)。でも、全試合に出ないとだめだったみたいで、私は途中出場だったので無理でした。いろいろな賞があるのですよね?とりあえず、頑張って、結果を出して賞も獲れるように思い切ってやりたいと思います。
―優勝の自信は
春のリーグで優勝しているので、もし今回自分が出て負けたら、どう謝ったらいいかわからないので、そういうプレッシャーはあります。でも、やっぱり春に優勝しているので秋も優勝できるように貢献したいです。
―ダブルスでも出場はありますか
あさってのオーダーだけは聞きましたけど、もちろん秘密です(笑)。
―ずっと目標にしてきた北京オリンピックは終わってしまいましたが、次の目標はありますか
次の目標は、この秋の関東学生リーグで優勝することです。それがまず1番の目標です。
(取材・編集 飯田唯、小島恭介)
◆福原愛(ふくはら・あい)
1988年(昭63)11月1日生まれのB型。156センチ。青森・青森山田高出身。スポーツ科学部2年。右シェイク・速攻。大学生活一番の思い出は1年生のときにクラスで行った「野外活動」という合宿授業。夜中、起きたらテントが水浸しで、ちょっと流されかけるという大ハプニングも!しかし、みんなでカレーを作ったり、火をおこしたりと沢山のお友達ができてすごく楽しかったのだとか。
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