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2007年度卒業記念特集
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卒業記念特集(16) 鈴木修人
歓喜を呼ぶ右足
短くとった助走から、背番号7が力強く左足を踏み込む。ボールを擦りあげるように振り抜かれる右足。描かれた放物線は壁を越えたのちに鋭く降下する。成す術を持たないGKは、ゴールに吸い込まれるボールをただ見送ることしかできなかった。
何度、このような場面を見ただろうか。何度、このFK(フリーキック)がワセダを救っただろうか。2007年度の関東大学リーグ。開幕戦、そして最終戦の決勝弾は鈴木修人(スポ4)のFKだった。
「高校からプロには行かず、大学に行こうと思っていた」。名門・市立船橋高では全国制覇も経験した鈴木が選んだ進路は早大だった。Jリーグへ歩を進めた同世代の仲間たちがプロの舞台で活躍する姿に、歯痒い思いをすることもあっただろう。早大の主戦場は砂煙が巻きたつ土のグラウンド。青々とした芝がカクテル光線に映えるJリーグのピッチとはあまりにもかけ離れていた。
ともすれば下落の一途を辿りかねないモチベーションを支えたのは、やはりサッカー以外にありえなかった。鈴木の入学と時を同じくして、大榎克己監督(昭63教卒)が就任。指揮官の標榜するポゼッションサッカーは待ち望んでいたものだった。「(前から)パスサッカーを自分はしたかった」。元日本代表の経歴を持つ大榎監督の薫陶を享受し、鈴木は展開力を武器にレギュラーの座を不動のものとして築いていく。
東京都リーグから関東1部へと昇格した早大。紛れもなくチームの中核を担っていた鈴木だったが、2006年の春に左足を負傷して戦列を離脱してしまう。関東1部に返り咲いた初戦、鈴木の名前はメンバー表になかった。「(試合を)スタンドから見ていてすごく寂しかった」ともどかしさを口にしたこともある。
しかし、暗雲はすぐに振り払われる。5月6日の東学大戦で復帰を果たすと、持ち前の正確な組み立てでワセダの中枢に君臨した。「修人は長いボールが出せる選手なので(復帰によって)有効なサイドチェンジができるようになった」と大榎監督も賛辞を惜しまない。副将として迎えた2007年には五輪代表にも選出され、デビュー戦でミドルシュートを決める離れ業もしてのけた。そして、7月にJ1・鹿島アントラーズへの入団内定が発表される。
鈴木が務めるのは現代サッカーにおいてチームの心臓部分を担う『ボランチ』。ポルトガル語で「舵」を意味するこのポジションは文字通り攻撃の舵輪を操る役目である。それと同じく、最近耳にすることが多いのが『レジスタ』だ。イタリア語で「演出家」なる意味を持つこのポジションはボランチの中でもより、正確なキックを生かした展開力、戦術眼に長けた選手を指す。鈴木の敬愛するアンドレア・ピルロ(ACミラン=イタリア)がその代表格である。鈴木がレジスタの部類に入るのは自明であろう。
プロの檜舞台でレジスタとしてプレーするにあたり、課題となるのは判断のスピード、フィジカルコンタクトである。鈴木もその点については自覚しており、「頭のいいディフェンスをしたい」と意気込んだ。
ワセダでキックという絶対なる武器を確固たるものにした鈴木がようやく立ったスタートライン。「ここからが勝負」。何度も繰り返された言葉の裏には強い思いが凝縮されている。鹿島のエンジに身を包み、ゴールネットを揺らす日はそう遠くないはずだ。鈴木の紡ぐ新たなるレジスタ像が、ここから始まる。
(斎藤 純)
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