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2005年度卒業記念特集
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卒業記念特集(7) 徳永悠平
ただの大学生じゃいられない
徳永悠平(人)という存在――。それは大学サッカー界には収まらないものだった。早大在学中にワールドユース日本代表、アテネ五輪日本代表と2世代に渡って『青いユニフォーム』をまとい、さらにはJFA・Jリーグ特別指定選手としてFC東京(J1リーグ)でも活躍。まさに別格の存在だった。
しかし、輝かしい経歴とは裏腹に、徳永は多くの悩みも抱えていた。「1、2年の頃は(部を)辞めようと思っていた」(徳永)。Jリーグで活躍する同年代の選手を横目に、決して恵まれたものとは言えない環境の中で、苦しみ、もがいていた。プロへの憧れと焦燥感。大学でプレーすることに喜びを感じられない徳永がそこにはいた。
そして、契機は突然訪れる。それは3年時に新監督として大榎克己(昭63教卒)監督がア式蹴球部にやってきたことだった。チームの雰囲気が大きく変わり、徳永はア式蹴球部でプレーすることの楽しさを実感した。さらには自らがチームを引っ張っていく立場にあるという自覚も芽生え、4年時には監督から指名された主将就任にも応じた。それまで自分のために戦ってきた選手が、チームのために戦うことを決意した瞬間だった。そして徳永は主将としてチームをけん引し、ア式蹴球部を9年ぶりの関東大学1部リーグへと導き、エンジのユニフォームを脱いだ。
苦悩を抱えた時期もあった4年間を振り返り、徳永は「人として大きく成長できた、貴重なものだった」と語る。プロに対する憧れを抱き、走り続けてきた徳永もFC東京でプロ選手としてプレーしていくことが決まった。「人として、愛されるような選手に」。サッカーだけではなく、「人として」向上心を持つその存在は大きく、そして何より『カッコイイ』。
(内田 樹)
【“W”発“J”行きの選手・第1弾 徳永悠平へ】
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