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日本一の夢を後輩に託して、自身は世界へ続く道へ
「もうキャプテンじゃないんだ、と寂しい気持ちです」。佐々木組の挑戦が終わりを告げた3日後の追い出し試合で、佐々木隆道(人)は率直な胸の内をこう表現した。常に勝つことを求められるワセダで主将を務める重圧やプレッシャーは、常人には想像のつかないほど大きかったはずだ。それでも、重責を終えて先に心を支配した感情は、安堵感ではなく寂しさだった。1年時から不動のNO・8として黄金時代を支え、4年時には自らの色で『史上最強』のチームを築き上げた佐々木は、ワセダのラグビー史にその名を確かに刻み込んだ。
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ワセダの記憶に名を刻んだ男
記録も凄いがそれ以上に記憶に残るランナー。去年の箱根駅伝。シード権を逃し、両手を合わせたままゴールテープを切る選手の姿を覚えている人も多いのではないだろうか。また主将である弟、その3歳年上の兄が2年後輩として、同じ大学のチームに所属するという異色の兄弟ランナーとして記憶している人も多いだろう。その男こそ今年度駅伝主将高岡弘(人)である。
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世界へのDIVE
早大唯一の飛込み選手、山下美沙子(教)。飛込みは、水上競技のひとつで一定の高さの飛込み台から飛び込み、その技術と美しさを競う。山下は競技人口の少ない飛込み競技の中で世界レベルの活躍をし、日本学生選手権2年連続2冠と学生飛込みをリードしてきた。
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離れられない
「やめようと思ってもなかなかやめられないんです」。大学テニス界屈指のハードヒッターである酒井祐樹(人)が、早稲田で過ごした4年間をそう振り返った。最初は「趣味程度でやっていた」小学生時代からずっとテニス漬けだった日々。酒井にとって、テニスはもう人生の一部なのだ。
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4年間の「ハンディキャップ」
強くて速い。どんな相手もなぎ倒す圧巻のドリブル。高くて迫力のある豪快なヘディング。安定したポストプレー、強烈なシュート。早大屈指のストライカー・矢島卓郎(人)はエースナンバー・背番号9をそのままに、ユニフォームの色をエンジからオレンジへと移した。
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芽生えた自覚、その先に見えたもの
ワセダのフランカー。それはラグビー界のおいて特別な意味を持っている。激しいタックルと豊富な仕事量、そして絶え間なく次のポイントへと走り続ける精神力が武器であり、一般入試で入学し、血のにじむような努力を続けてきた選手たち。これがこれまでのワセダのフランカー像であり、ファンにもそう認識されてきた。ワセダが高みへと向かう時、常にこのようなフランカーが存在し、そのプレーで人々を惹きつける。現に12年ぶりの大学日本一に輝いた2002年には羽生憲久(平15理工卒)が、一昨季では古島直(平17政経卒)がその役割を担った。同じく一般入試で入学した松本允(人)は彼らの姿を見て育ってきたのだ。
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He makes it happen
これが大学野球か―。私は入学して始めて早大の試合を見たとき、そう思った。高校野球の試合とは次元の異なるレベル。そこには、3番・武内晋一(人)の姿があった。
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関東最強の男
走り続けた4年間だった。新人戦優勝、関東学生選手権連覇、インカレ優勝、関東リーグ優勝と取れるタイトルを総なめにし、卓球の名門・ワセダの復活に大きく貢献した。そんな関東最強の男、中野祐介(人)は4年間、何を感じ、何を思い走り続けたのか――。
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共に戦った4年間
「すべては王座のために」――。全日本大学対抗テニス王座決定試合(王座)優勝を目指すチームの中心には吉田沙織主将と中村晴香(ともに人)の2人がいた。「(主将を)やってみたかった」という吉田と、「支える側が合っている」と思ったという中村。妥協をしない必死でがむしゃらな2人の姿勢は「後輩が文句も言わず信じてついてきてくれた」(中村)チームを作り上げた。
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だから僕はやめない
人間、いつも華々しい舞台に立てるわけじゃない。特に「相撲」という競技では。日本の国技だ。伝統だ。文化だ。そう言われ続けたのは今や昔の話。相撲人気は下がり続け、大相撲でさえ土日でしか「満員御礼」がでないほどになっている。大男が裸でぶつかりあう相撲。この競技は何万人という観客を魅了するサッカーや野球とは明らかに一線を画す、地味で、簡素で、時代遅れのスポーツなのである。
「だから」二田文智(教)は続ける。
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『NO.1』で『オンリーワン』
『NO.1』。ファンにサインをする際、名前と同時にこの言葉を記す。その選手の名は前田航平(人)。史上最強とうたわれた今季の早大の「1番(プロップ)」は常に先頭で身体を張り続けた。「ワセダの1番として絶対に負けられない」。その思い、誇りが4年間で前田を大きく成長させた。
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貫き通した気持ち
『夢追い人』。今季ア式蹴球部の9年ぶりの関東大学リーグ1部昇格に大きな貢献を果たした高橋周大(人)にはまさに『夢追い人』という表現が似つかわしい。
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バットをクロスに持ち替えて
「ここまでいけるとは考えていなかった」。6年ぶりに進出した多くのラクロッサーの憧れであるファイナル4の大舞台、東大との激戦を終えた後藤俊也主将(商)は早大での4年間をこう振り返った。01年度にラクロス部が体育局へと昇格してから、その組織を確立するまでの苦難と躍進を中心選手として経験してきた後藤。その表情は全ての力を出し切った清々しさに溢れていた。
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諦めない心
凄まじいと感じた。そして、同時に疑問にも思っていた。なぜそこまで勝ちにこだわるのか、なぜその届かないで あろう一球に食らいつき、最後まで諦めない心を保ち続けられるのか。圧倒的に勝っていても、あと1ポイントで負けてしまう場面でも、江戸寛(社)のその姿勢は貫徹されている。江戸はそれを「重み」と言う。テニスを愛する選手の一人として、常勝を求められる主将として、真剣にテニスと向き合ってきた全てが「重み」として、江戸を突き動かしてきた。
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進化を遂げた天才シューター
鳥肌が立つほどの美しいフォームからシュートが放たれると会場は静寂に包まれる。シュートが大きな弧を描きリングの中央へ吸い込まれると同時に一瞬の静寂は大歓声に変わる。このシーンを何回見たことだろうか。抜群のシュートセンスと勝負所での決定力を武器に、幾度と無くチームの窮地を救い、勝利に導いてきた早大バスケ部のスリーポイントシューターが高木賢伸(人)である。
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Smile Swimming
いつも笑顔を絶やさない。周囲の雰囲気をぱっと明るくする。チームワークが重要なリレー種目で早大が幾度も優勝し日本記録も打ち立てられたのは真島枝里子(人)の陽気な性格の賜物かもしれない。
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楽しんで、強くなる
昨年、19年ぶりの関東リーグ2位、20年ぶりの全日本インカレ3位と、大きく飛躍した男子バレーボール部。下級生中心の若いチームで絶対的な信頼を得ていたのは、エース・前田和樹(人)だ。183センチと身長は決して高い方ではない。しかし大事な場面で観る者をうならせる巧さ、そして精神力がある。さらに前田の最大の強みはレシーブ力だ。安定したレシーブは早大の多彩な攻撃を支えた。
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投手が安心して投げられた名捕手
正捕手の証、背番号「6」を着けたのは3年時の夏。入学当初は捕手登録、その後内、外野手を経て捕手のポジションに戻ってきた山岡剛(社)はその後、神宮でマスクをかぶり続けた。投手が安心して投げられる捕手であるために山岡が努力を怠ったことはない。チーム一と言われた練習量が物語っていた。
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ただの大学生じゃいられない
徳永悠平(人)という存在――。それは大学サッカー界には収まらないものだった。早大在学中にワールドユース日本代表、アテネ五輪日本代表と2世代に渡って『青いユニフォーム』をまとい、さらにはJリーグ特別強化指定選手としてFC東京(J1リーグ)でも活躍。まさに別格の存在だった。
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「かぶとむし」のその先
4年前の早大ラグビー蹴球部の入部式、池上真介(人)はラグビーへの誓いを叫ぶ。一つひとつ自分の出来ることを積み重ね、最後には一人前の選手になると。そして、その年の文集『鉄笛』には、「かぶとむし」という題名の詩を記した。「一年生の今はまだ幼虫だけど、4年生の頃には立派な角を持った成虫になりたい」と――。
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ただ追い求めた自分の道
「お前が大学4年間でインカレ(全日本学生選手権)10位以内に入れば上出来だ」。高校卒業のとき、監督、コーチから言われた言葉は、未だに忘れることはない。悔しくて、腹が立ち、絶対に見返そうと、4年前に馬場亮輔(人)は心に決めた。だが、「その気持ちは大事だった。4年間この言葉が支えになった」と振り返る。
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水球の魅力に惹かれし者たち
今年、5年ぶりの東日本リーグ優勝、日本選手権3位入賞で沸いた水泳部水球部門。チームの輪の中には、常に主将・河原仁、杉山哲也、鈴木孝志(ともに人)という4年生3人の姿があった。「水中の格闘技」とも称される水球の何に魅せられ、なぜワセダに集ったのか。卒業を間近にして募る水球への思い…、果ては水球界まで幅広語っていただいた。
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充実した早大での4年間
「本当にあっという間でした」。 森田行雄(人)は、大学での競技生活を振り返ってこう述べた。高校総体200mチャンピオンの森田は、鳴り物入りで早大に入学。新しい環境にも適応し、1年時から関東インカレや日本インカレといったビッグレースに登場する。個人での400mはもちろんのこと、4×400mリレーのメンバーとして、いくどとなく入賞するなど活躍してきた。特に2年時の日本選手権リレーでは、優勝には手が届かなかったものの、40秒13の早大記録を樹立する。
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ワセダで育った最強投手
昨夏、創部40年目にして悲願の全日本大学選手権(インカレ)初優勝を果たしたソフトボール部。その優勝を決めた瞬間、中島幸紀(人)はマウンド上でVサインを空へ高々と掲げていた。
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アカクロの「2」番から桜の「2」番へ
「気持ちを出すこと。気を抜いたプレーをしないこと」。そう語る自身のラグビーへのこだわりを体現するがごとく、常に激しくひたむきに体を張り続けた青木佑輔(教)。早明戦に憧れてワセダに入学すると1年時でリザーブに入り、2年時からはアカクロの2番を不動のものにする。4年時には「身体で引っ張る、姿で引っ張る」(佐々木隆道主将=人)副将として「史上最強」佐々木組を支え、「最高の4年間」を終えた。
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