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  卒業記念特集? 波木健太郎 

 ザ・スクランブル

  「奇跡は起こるものではなく、起こすもの」。そんな言葉を思い出させてくれた。早大米式蹴球部・QB波木健太郎(法)。この4年間で日本屈指のQBに登りつめ、今季は世界最高峰リーグNFLへの登竜門、NFLヨーロッパのドイツのケルンセンチュリオンズでプレーする。「日本人初のNFLプレーヤー」。そんな肩書きも現実味を帯びてきた。

 「スクランブル」。それはアメリカンフットボールでは、パスを投げようとしたQBがパスのポイントが見つからずに、自らの判断で一瞬にしてスペースを見つけ走り出すこと。

 その瞬間、背番号「5」がフィールドで一閃を放った―。

 奇跡というものが存在するならば、人はこの世に生を授かってから幾度めぐり逢えるのだろう。その数は限られたものかもしれない。もしかしたら、気付かないことさえあるかもしれない。だが、あの瞬間だけは、はっきりと言える。あれこそが奇跡なのだと。たった1秒で波木健太郎が創り出した奇跡、「ザ・スクランブル」。

 「悔しいですね」。ポツリと呟いた。2002年12月末日。02シーズンが終わってから数日後の取材でのこと。シーズン全体の感想を聞くと、すぐそう返ってきた。いつもと変わらずまっすぐな視線。だが、取材に対してここまで感情をあらわにするのは珍しかった。その年は早大米式蹴球部ビッグベア―ズにとって新たな1ページを刻んだ1年だった。リーグ戦で2敗したものの、創部史上初のプレーオフ進出を決め、関東8連覇中だった法大、専修大を沈め、関東制覇。大学日本一を決める甲子園ボウルへの切符を手にする。波木自身も「関東大学リーグMVP」に選出され、文字通り、関東ナンバー1プレイヤーとして、関西王者・立命大の待つ甲子園に乗り込んだ。だが、結果は14―51の完敗。試合開始から終始、立命大の鮮やかなショットガン攻撃と、激しいディフェンスの前に早大は全くリズムがつかめない。それでも波木のプレーから輝きが失われることはなかった。個人的には「負ける気がしなかった」。右手親指を脱臼しながらも、78ヤードの独走TDを決めるなどの活躍を見せ、甲子園ボウル敢闘賞を受賞。だが試合後、自らの背番号「5」に視線を落としながら、唇を噛みしめた。「負ける賞なら欲しくない」。

 中学までは、野球少年。投手で一番打者。この頃から、すでに投力、走力ともに秀でていた。その能力の高さが進学した駒場学園高のアメフト部の顧問の目にとまり、始めたアメリカンフットボール。最初は戦術の複雑性や、QBというポジションの特有の難しさに四苦八苦した。「アメフトを始めた一年間は本当に勉強しました」。その努力と並外れた身体能力の高さを生かし、才能は徐々に開花の一途をたどる。その結果手にした、高校三年時の「高校選手権準優勝」。だが、一番欲しかった「日本一」は目の前でQB高田鉄男率いる大産大付高に奪われる。胸に残るのは悔しさだけだった。だからこそ、三年ぶりに巡ってきた聖地・甲子園でのチャンスは是が非でもモノにしたかった。皮肉なことに、ケガで当日の試合に出場しなかったといえ、立命大はまたもエースQB高田を中心に作りあがったチーム。しかも、甲子園は他のプレイヤー以上に波木にとって特別な思いのある場だった。

 入学試験の面接でのこと。「早稲田を甲子園に連れて行く」。真剣な思いだった。だが、当時の早稲田はプレーオフにも出場したことがないチーム。他の強豪校からの誘いもあったが、断った。早稲田が「自分のプレースタイルには合う」。しかし、現実は甘くない。大学1年時はスターターに定着するも、入れ替え戦への可能性もあったリーグ4位。大学2年時は、専修大と並ぶ同率2位ながらも、直接対決で敗れていたため、リーグ3位。またもプレーオフに進めず。波木の成長ともに、チームも確実に上昇していたが、甲子園はまだまだ憧れの地でしかなかった。何かが足りなかった。プレー面であることもさることながら、それは精神面での変化。大学に入学してから3シーズン目。リーグ戦の途中から、ある決意をもって試合に臨むようになる。「なるべく自分の感情は抑えてプレーしよう。笑顔でいよう」。チームの誰かがミスをしても笑顔を絶やさない。次ならやってくれる。今まで以上に仲間を信頼することを覚えた。そうしてチーム一丸となって、ようやく辿り着いた甲子園。だが、待ち受けていた結果は大敗。いくつもの悔しさが重なる。波木にとって大学ラストシーズン、2003年の目標は決まった。「立命大を倒し、日本一になること」。

 2003年5月29日。波木の姿は東京都内の某ホテルにあった。第二回ワールドカップドイツ大会、日本代表発表記者会見。連覇の期待がかかる日本代表メンバーに学生としてただ一人選ばれた。持ち前の脚力を買われ、一発のランで局面を打開できることを見込まれての選出。「選ばれたことについては嬉しい限り」。大勢の取材陣に囲まれ、少し緊張した面持ちながらも、しっかりと喜びを感じていた。その一方で日の丸を背負うことへの名誉も感じていた。「外国の大きさや速さと戦いたい。そういうものをチームや学生界に伝えたい。ただ自分だけ良いものを得たではいけない。日本のフットボールの発展に貢献したい」。その表情は早稲田の波木から、日本の波木へと変わっていた。しかし、日本を発つ前に波木にとって、早稲田にとって重要な一戦が3日後に控えていた。03シーズンの春の総決算として位置付けていたヨコハマボウルでの立命大との再戦。失意の敗北から半年。しかも、今回の立命には、ケガから復帰したライバル高田がいる。燃えないわけがなかった。

 快晴の横浜スタジアム。甲子園ボウルから、半年振りに顔を合わせる両チーム。エンジと白のユニフォームがピッチに入り乱れる。両チームとも、ホームユニフォームをエンジを基調としているため、甲子園では立命大がエンジを、早稲田が白を着用していたが、今回はその逆。だが、ユニフォームの色が入れ替わろうと、結果まで入れ替わることはなかった。

 「完敗」だった。28―77。早大は試合開始23秒でTDを奪われると、その後もQB高田から繰り出される立命大の攻撃を止められない。オフェンスが、なんとかその悪い流れを断ち切ろうとするが、パスも通らず、ランもさせてもらえない。やはり、王者・立命大は最強だった。苦しい試合展開のなか、2TDを奪うなど一人気を吐いた波木であったが、「全員を落ち着かせることができなかった」と副将として、この敗戦を受け止める。ライバル高田との対決についても、「QBとしては負けでしょう」。チームのエースとしてもその責任を感じていた。「秋に向けて、立命に勝つことが目標」、「立命が一歩進むとしたら早稲田は2歩進まなきゃ追いつかない」。新たな決意を胸に秘め、ドイツへと旅立った。

 そのドイツでのワールドカップで日本は連覇を果たす。残念ながら、波木はあまり多くの出場機会には恵まれなかったが、得たものは多かった。その中でも改めて「パスの重要性」につい認識させられるようになる。以前から、「課題はパス」と話していたが、日本屈指のレシーバーに囲まれた状況に身を置いたことで、それはますます明確になった。

 9月。いよいよ、波木にとって大学最後のリーグ戦が開幕。初戦の東大に完勝し、上々のスタート。その後も昨季の関東王者・早大は課題を残しながらも、着実に白星を積み重ねていく。終わってみれば、創部史上初となる、リーグ戦ブロック全勝優勝。関東大学選手権クラッシュボウルへの進出を決めた。波木自身のプレーはというと、相変わらず相手を切り裂くようなランを連発する一方で、パスを多投するようになっていた。その精度は試合毎に高まっていき、いわゆる「置き」にいくパスは減り、「貫く」パスが増える。ワールドカップでの経験がしっかりと生かされていた。圧巻だったのは、全勝対決で迎えたリーグ最終戦の法大戦で見せた、試合終了直前の自らの逆転のTDに繋がるそれまでの3本のパス。小雨混じりのボールが滑る状況で、とても簡単とはいえない場面だった。それでも「落ち着いていられた」。また一段とQBとしての凄みが増したように感じられた。だが、それでも笑顔は一切ない。「もう2位はいい。高田に、立命に勝ちたい」。執念ともいえる確固たる誓いだった。

 2003年11月23日、アメリカンフットボール関東大学選手権準決勝、早大対東海大。この試合を含め、日本一まであと3つのところまできていた。ここからは、リーグ戦と違い、負けたら終わりの一発勝負。試合は、序盤から激しい点の取り合いとなり、シーソーゲームの様相を呈する。なんとか早大は前半を20対14と6点差のリードで折り返す。しかし、後半に入ると東海大のオフェンスは勢いが増し、ついに4Qで26対34とされ、この試合、最大のビハインドを背負う。試合終了まで57秒。早大が最後の攻撃権を得る。エンドゾーンまで97ヤード。早大の、波木の奇跡がここから始まった。

 もう絶対に一つのミスも許されない。一つのミスが敗北に直結する、焦りと緊張に支配された極限状態。波木からパスが一本、また一本と繋がる。確実に前進していく。だが、時間は許してくれはしない。刻々と進む時計の針。試合終了まで残り1秒、エンドゾーン32ヤードまで辿り着いた。

 競技場は異様な雰囲気に包まれていた。試合終了まで残り1秒。早大最後の攻撃。QB波木の眼前に広がるエンドゾーンまでの32ヤード。気の遠くなるような距離だった。残り1秒でTDを奪い、その後TFPトライを決め、同点に追いつき、延長戦に持ち込む。試合に勝つためには、それしかなかない。もし出来なければ、早大の03シーズンは終わり、同時に波木の大学での四年間も終わる。早大陣営によぎる「絶望」の二文字。だが、負けられなかった。負けるわけにはいかなかった。03シーズンの目標は「日本一」。それ以上でも、それ以下でもなかった。この状況においても、チームに誰一人として諦めるものなどいない。ピッチ上のライン際では、チーム全員が手をつなぎ、フィールドのただ一点を見つめながら、祈りをこめる。その一点をフィールドを挟んだ対角線上から固唾を飲んで見守る東海大陣営。次の試合に向けての準備を進めていた審判団も手を止める。そして観客も。すべての視線が背番号「5」、QB波木に集中する。その視線の中には、「早大・波木のプレーの見納め」、そんな目もあっただろう。だが、多くの者は「もしかしたら―」。波木がこの四年間で幾多の絶望からチームを救ってきたことを考えると、とどめようのない思いだった。

 ボールがセットされる。センターからボールがスナップ。波木に渡った。ボールを持ち少し後ろにステップし、一瞬、パスターゲットを探す。だが、いない。決めた。迷いはなかった。「スクランブル」。

 その瞬間、背番号「5」がフィールドで一閃を放った―

 東海大ディフェンスが体を投げ出して止めにかかる。しかし、誰一人としてエンジの5番に触れることは出来ず、その場で倒れこむ。エンドゾーンに向かい、一直線に駆け抜ける。競技場中から地響きのような歓声と悲鳴の声。最後のディフェンスもかわし、波木がエンドゾーン左になだれ込む。「TD」を認める審判員。本当に決めた。波木が決めた。試合終了残り1秒からの32ヤード独走TD。「奇跡」。そうとしか言えなかった。何が起こったか、把握できなった。いや、自分の感情が目の前の光景に追いつかなかった。全身を震え上がらされた。記者として、いや一人の人として自分がこの場面に立ち会えることが出来た、それまでの自分の境遇にさえ感謝した。そんなTD。一生忘れることなどできないTD。記者としては、失格かもしれないが、言葉なんて陳腐なものに思えたほどのTD。あのプレーを何度思い返しても言い切れる。見た者すべての魂を熱くさせたTDだったと。これから先、どんなスポーツの名場面に出会うか分からないが、一生記憶に残る「ザ・スクランブル」だった。

 それから約15分後、東海大の勝利を告げるFGがディフェンスのブロックに入った波木の頭上を通過した。早大は試合終了直前のTDで32―34とし、その後のTFPを決め、土壇場で34―34の同点に追いつき、延長戦に持ち込んだ。だが勝利の女神は微笑まなかった。早大の03年シーズンが終わった。

 試合終了後、グラウンドに泣き崩れる早大の選手たち。死力を尽くして戦ったが及ばなかった。波木も無念の表情を浮かべる。が、涙はなかった。まわりの選手に声をかけつつ、グラウンドから引き上げて、いつもどおり取材に応じる。「いつもの試合後に戻ったような感じ」。だが一人になり、シャワー室に行くと頬を濡らすものをとどめておくことは出来なかった。波木の4年間が終わった。

 悲願の「日本一」には届かなかった。確かにそのことに対して、残念な気持ちはある。それでもこの4年間を総括して振り返ってみると「結果的に後悔することはない」。弱かったチームが強くなる過程の中心に身を置けたこと。そしてその過程の中で、心から信頼できる仲間に出会えたこと。4年間の全てが財産となった。

 常々「将来はNFL」でやりたいと話していた波木。昨年末、NFLの下部組織であるNFLヨーロッパのトライアウトに挑戦し、合格。今年、2月からはアメリカで行われた世界14カ国から約80名が集まったナショナルキャンプに参加し、正式にNFLヨーロッパ入りが認められた。チームはドイツのケルンセンチュリオンズに決定。すでに波木はドイツでの生活を始めている。シーズンの開幕は4月4日迎えるが、現在のチームでの立場は、三本目。試合に出場するには厳しい状況が続いている。課題はプレー面だけでなく、語学力も求められる。慣れない環境に戸惑う場面も多いだろう。だが、期待せずにはいられない。「目標はNFLヨーロッパじゃなくて、NFLのフィールドに立つこと」。そういい残し、日本を発った波木の言葉を信じて。
(堤之 剛) 
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