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聖地アテネへ 徳永
【3月1〜5日 UAE(アラブ首長国連邦)、14〜18日 日本】早大ア式蹴球部・徳永悠平(人2)がアテネへの道を切り開いた! 唯一の大学生プレーヤーとして、U23(23歳以下)日本代表に選出され、アテネ五輪アジア最終予選を戦った。右サイドハーフ、3バックの一角として全6試合中5試合に先発フル出場。UAEラウンドでは体調を崩すなどしたが、攻守において活躍し、日本の3大会連続五輪出場に大きく貢献した。8月のアテネでの「表彰台」を目指し、徳永の戦いは続く。
試合終了のホイッスルが青く染まった国立競技場に響き渡る。普段はクールな徳永も満面の笑みを浮かべる。ようやくつかんだアテネへの切符。「ほっとした」。歓喜とともに、達成感で満ち溢れた表情。だが、それこそがこの予選の厳しさを物語っていた。
最終戦まで全く予断の許されない状況。そんななか、徳永のプレーは光っていた。豊富な運動量から生まれる再三にわたるサイド突破。鋭い読みを生かしたカバーリング。特筆すべきは、一対一の守備の強さ。昨年のワールドユースMVP・UAEのマタルにさえ、決定的な仕事はさせなかった。派手さはないが、その堅実なプレーは日本を確実にアテネに引き寄せた。特にUAEラウンドを日本が無失点で乗り切れたのは、徳永の守備における部分が大きい。
昨年は大きな飛躍を遂げた一年だった。大学生が所属チームに登録されたまま、Jリーグの試合にも出場できる「JFA・Jリーグ特別強化指定選手制度」が設立され、その第1号選手に選ばれた。FC東京でプレーすることになり、8試合に出場。大学サッカーとは「全てが違う」。戸惑うことも少なくなかった。しかし、プレーの質は格段に上がった。だが、大学生活との両立は苦労の連続。プロではないため、出場給も勝利給もない。本来のア式蹴球部の試合にも出場するため、余儀なくされる往復生活。多忙な日々が続いた。それでもそういった苦労を「ワセダでやっているからこそ味わえる苦しさ」と真摯(しんし)に受け止めている。なぜなら一人の学生として得るものも多いからだ。「たくさんの人に巡り会えたし、人としての幅も広がった」。
また昨年はU20日本代表に選ばれ、ベスト8入りしたワールドユースにも出場。全5試合に先発フル出場し、チームの中心として活躍した。「スピードと判断の早さ」。世界で戦う上での課題を見つけた。と、同時にそれまで経験することのなかったハイレベルな戦いに魅了された。
「世界レベルにもう一回挑戦したい」。ワールドユースで知った「世界」の舞台で戦うことの楽しさ。そのために、「(五輪)本大会に出たい」と言う徳永。アテネでの目標は「表彰台」。それは1968年(昭43)メキシコ五輪に並ぶ偉業を指す。だが、その前に本大会の代表に選ばれなければならない。プロとの代表の座を巡るし烈な争い。しかし、強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのがこの世界。遠慮はいらない。徳永は自らの手で代表の座を奪い、36年ぶりのメダル獲得に挑む。
(堤之 剛)
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