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趙学来密着取材(2)
「OL」と「77」という原点
秋季リーグ戦を5連勝した早大。試合内容の徐々に良くなっていくなか、趙自身は自分の出来に関して決して満足はしていなかった。「OLユニットとしては成長できたと思う。法政を相手にしても負けないユニットになってきたと思う」としながらも、「僕自身は納得したプレーができていなくて、フラストレーションが溜まっている」と言う。趙自身、今夏のW杯に出場し、世界を体感した。そして迎えたこの秋季リーグ戦、対戦校にとっては注目選手となりマークされることは容易に予想できた。ユニットでは趙が「日本一のOL」と称する池野拓主将(スポ4)の横に並び、頑強なラインが完成しつつあると思われたが、試合では、対戦校が2人を比較した上で意図的に趙のほうを突いてくることがあったのもまた事実だった。「ユニットとしては法政に負けなくても、1対1の部分ではまだまだ僕も力が足りていないので、もっと力をつけなければいけないです」と常に向上心を忘れていない趙。この思いがある限り、ワセダはもっと強くなれることだろう。
常にこの向上心を持ち続ける趙の原点は、高校時代にさかのぼる。早大学院高入学当初はDLの選手としてスタートするも、本人曰く「あまり芽が出なかった」と語る。「僕と同期のDL伊藤(明人=商3)がスターターになって、僕は全然彼に勝てなかった」のだそうだ。そんな趙に転機が訪れたのは高2の春。それまでDLとして起用していた濱部昇監督が東京都大会の準決勝という大事な試合の当日に「OLをやってみないか」と言い、そのままOLとして試合に起用されたのである。結局は「何もできないままだった」と趙は当時を振り返ったが、まさしくその瞬間に「OL趙学来」が誕生したのである。OLに転向後、とにかく毎日必死に目の前にあることをこなしていった。そしてOLとしての基本ができ始めた頃に、1人の超えるべき存在に出逢う。それが7歳年上の実兄であるOL趙元来(現アサヒビール)である。同じポジションの選手であり、もっとも身近な存在である兄は趙にとって、良き見本であり、また良きライバルでもあった。「実際に兄のプレーを見たことはない」というものの、常に兄を超そうという思いが趙の原点の一部になっていることは間違いない。
そしてもう1つ、趙には原点がある。それは「77」という数字だ。今季、背番号を51から77に変更した。この番号は趙が高校時代から付けていた番号だ。兄が付けていた番号が77でもあった趙は「大学に入ったときも77が空いていたので付けようと思っていた」という。しかし、当時、部から支給されたユニフォームで最もサイズが大きかったのが77番であり、その番号はチームで一番身体が大きかったDL田中秀(スポ3)が着ることになったため、趙は残った番号から仲間と相談し51番を選択したのだという。そして今季、新しくユニフォームが作られ、趙はようやく自分の番号を手にしたのである。そのときの気持ちを「とても嬉しかったし、テンションが上がった」と笑いながら語ってくれた。
OLというポジションは、「縁の下の力持ちで、ミスが絶対に許されないし、しかも活躍しても目立ちにくい」と趙は語る。「でも、その分勝ちに精通しているポジションで、OLがしっかりしていれば、どんなに悪いRBでも走ることが出来るし、OLがパスプロをもたせればWRもQBも良いパスを通すことが出来るので、自分なりに良いプレーが出ると快感なんです」とその面白さを話す。「それに頭を使うポジションで、ずる賢さも必要になってくる」とうところも面白いそうだ。リーグ戦も残り数試合、背番号77がこれからも最高のパフォーマンスでチームを勝利に導いてくれることだろう。
(濱中征司)
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