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【特集】リベンジの号砲 第3回 3区 矢澤曜

昨年に引き続き3区に起用されたのは矢澤曜(教4=神奈川・多摩)。4年間全ての大学三大駅伝に出場し続けたものの、自身最後の箱根での総合優勝は叶わなかった。大学でのラストランを終えた矢澤に、今回の箱根に懸けた思い、そしてこれからも続く競技生活への意気込みなどを語っていただいた。
※この取材は1月27日に行ったものです。
「やれるだけのことはやって臨んだ」
――現在の調子はいかがですか
練習も生活も一息ついているところです。4年間頑張ってきたので、いまは少しくらい自分の身体にあるものをリセットしようと思って割り切って過ごしています。
――では練習も控え気味なのですか
練習もしているのですが、本当にゆっくり軽めに、継続的な練習ができればいいかなと思っています。
――現在は実業団のほうで練習をされているのですか
地元のチームの試合があるので、それをうまく使いながら、地元に帰ってやっています。
――都道府県対抗駅伝に出場されましたが、中高生たちと触れ合っていかがでしたか
今回は「主将のような役目をやれ」と事前に言われて臨んだんですけど、やはり地元のチームは良いものでした。自分が育てられてきたチームでもあるので、そのチームに帰ってなおかつ主将のような役割を任せてもらえて…いろいろと課題や反省は見つかりましたけど、すごく楽しかったです。
――ご自身の走りに関してはいかがでしたか
チームとして14番という目標を持っていたので、それに届かなかったのは自分の能力の面でも足りない点があっただろうし、主将としての役割の面でもまだまだ足りない部分があったなと思っています。
――中高生への声掛けなどもされたのですか
そうですね。でもやはり中高生は若くて元気が良いので、もっと一緒になって楽しんでやれたら良かったなという感じです。
――では箱根について伺っていきます。区間が確定したのはいつ頃でしたか
僕が聞いたのは本当に区間エントリーの前日でした。ただ、決まったのは1カ月以上前だったんじゃないかと思います。
――1区を予想する声も多かったですが、もともと3区という構想だったのですか。
僕自身もなんとなくですけど、1区だろうなというのがあって、なおかつ1区に対する心構えみたいなものも準備してはいました。
――渡辺監督(康幸、平8人卒=千葉・市船橋)はどのような意図をお持ちだったのでしょうか
勝ちに行くためのオーダーはこれしかない、と監督が決めたんだと思います。自分に区間を教えたのもエントリー発表前日だったという徹底ぶりから、本当に勝つ気だったんだなと感じました。チーム内でも直前までは言わずに、他の人があっと思うようなオーダーを組みたかったんだと思います。
――最初に決まった区間は5区と監督がおっしゃっていましたが、それはチーム内で共有されていた情報なのですか
それもそんなに分かっていたわけではないですね。山本(修平、スポ1=愛知・時習館)は準備もあるのでもう少し早く聞いていたとは思いますが。
――2年連続の3区を走ってみて、ご自身ではいかがでしたか
3区を走った反省はたくさんあります。というのは最後の箱根でもあったし、2度目の3区で周りからのたくさんのサポートがあって走った3区だったので…それら全てに合格できるような走りではなかったなと思います。
――当日のコンディションはいかがでしたか
やれるだけのことはやって臨んだ3区でした。コンディションに関しても、いけるぞというだけの準備はできていたので不安はなかったですね。
――足の状態も上向きだったのでしょうか
そうですね。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)、箱根とどんどん良くなっているのは感じました。
――集中練習の間も状態は良かったのですか
はい。夏は最悪でしたけど、また普通に練習をやれるようになっていました。
――当日は監督からどのような指示がありましたか
監督は信頼してくれていたんだと思うんです。「任せたぞ」と言われました。なので細かい指示とかではなかったですね。
――どのようなレースプランをお持ちでしたか
どの位置で来るにしても自分の走りをするまでだという気持ちが強かったです。
――1、2区の様子はご覧になっていましたか
実際に見てはいなかったですけど、いろいろと話は聞いていました。
「すごく冷静だった」
――5キロ過ぎで山本選手(東洋大)に追いつき、10キロ過ぎまでトップ争いが続きましたが、あの時はどのようなお気持ちでしたか
すごく冷静でしたね。このあとどうしようというプランを逐一頭で考えられていたというか、そんな感じでした。あの時は次の区間にトップで渡したいという気持ちが強かったです。
――序盤突っ込んだようにも見えたのですが
自分自身冷静だったので、あまり突っ込んだという意識はなかったです。
――後半は苦しい走りになりました
自分も相手も苦しい場所だとは思っていました。東洋大の山本くんが前に出ても機会をうかがうというか、すぐに追いつこう、またチャンス来るだろうと考えていました。
――タスキをつなぐまでずっと冷静な思考が保たれていたのですか
そうだと思いますね。
――次の区間である4区は当日エントリー変更がありました
本当に急な変更だったので、やはり戸惑いが自分自身にもありましたし、後輩たちにもありました。
――大串選手(顕史、スポ4=茨城・水戸一)はどのような反応をされていましたか
大串もやはり6区を走るつもりだったので、急に1日早く走ることになるというのはきつかったと思いますね。
――やはり走る区間によって心構えは変わるのでしょうか
違うと思います。それ以上に走る日にちが変わるときついですね。無意識でも試合当日に向けて気持ちを持っていくというか、ピークを持っていくようにはしているので。
――復路はどちらでご覧になっていらっしゃいましたか
7区の佐々木(寛文、スポ3=長野・佐久長聖)の付き添いでした。
最後の箱根を終えて
――今回の箱根は4年生の出走が2人にとどまりましたが、八木主将が走らないということもチーム内では薄々分かっていたのでしょうか
チームに帰ってきてくれただけで良かったという認識でしたね。
――三田選手(裕介、スポ4=愛知・豊川工)も大きな決断をされました
三田もすごい決断をしたなと思っています。僕たちの代が大学入学時に描いていた4年目の締めくくりとは絶対に違っていたじゃないですか。三田もそういうイメージを持って4年間を過ごしてきたのに、自分の体調が試合に対して調わなかった。調整の失敗ってよくあることで、それがたまたま箱根に来てしまったんですね。そこで自分から走らない決断をするというのは、なかなかできることではないと思うんです。
――三田選手の決断には皆さん驚かれましたか
驚いたし、僕から言わせたら走ってほしかったんですよ。他の選手からしても三田に走ってほしかったんです。それでも明日の自分の体調を1番分かっているのは自分なので。チームのより良い結果を願って自分から引いたというのは本当にすごいと思います。その決断に対して、渡辺監督も「うん」と言ったんですね。だから僕たちがどうこう言える立場ではなかったというか、気持ちを切り替えるしかなかったです。
――やはりチーム内に動揺があったのですか
「三田さんが走らないと僕走れません」って言った後輩がいたので、僕も監督に何か言わずにはいられなかったんですけど、それを言っても監督は三田の決断を受け入れました。だから僕らにはどうすることもできないし、大串のように代わった選手は気持ちを切り替えてやる限りのことをやったと思います。福島(翔太、スポ4=埼玉・早大本庄)なんかはその動揺をあすの試合に向けた気持ちに切り替えることに力を使ってくれました。
――総合4位という結果については
やはり悔しい4位なので、渡辺監督は泣いていました。チームのみんなが悔しかったと思います。
――悔しい結果を受けて、後輩たちとどのようなことを話されたのですか
後輩たちが来年の箱根への決意なんかをみんなして話してくれたんです。だから良かったなと思いますね。この経験も来年に生きていくだろうと思います。
――矢澤選手は4年間全ての大学三大駅伝に出場し続けました
たしかに4年間全てに出場しましたけど、良い時もあれば悪い時もあったので、そういった意味でまだまだ選手として成長のしがいがあると思っています。
――4年間常にメンバーに選ばれ続けるということは大変なことだと思いますが
4年間選ばれてきたからこそ、たくさんの人にお世話になっているんです。そういうのもひっくるめて挑んだ箱根で負けてしまったので、評価はできないですね。
――最後の箱根を終えた時のお気持ちは
やはり自分が入学して以来抱いてきた1番の目標が叶わなかったので、当然悔しさはありました。でも後輩たちが来年頑張ると力強く宣言してくれたので、自分たちは悔しくてもこれから先につながっていくものを感じられて嬉しかったし、ある意味救われたと思いました。
――1番の目標というのは最後の箱根で優勝することですか
はい。僕は4年前自分が入学した時から、同期のチームで勝ちたいという思いがありました。
――矢澤さんの世代は黄金世代と言われていましたが、やはり今回の箱根でも重圧は大きかったのでしょうか
僕なんかは最初からプラス1だと思っていたので(笑)、インターハイで上位だった残りの3人が受けてきた重圧のほうがさらに大きかったと思いますね。
――これで大学での競技生活は終わってしまいましたが、お世話になった方々からどのような言葉を掛けていただきましたか
お疲れ様という声が多かったですね。たしかに疲れました(笑)。ゆっくり休んでというようなことも言っていただいたので、ゆっくり休ませてもらって、次のスタートに備えたいと思います。
――4年間戦い続けることは非常に大変だったと思いますが
でもすごく楽しかったです。かけがえのない4年間でしたし、こんな経験をして社会に出られるのは競走部という環境があったからなので、良かったなと思いますね。
――今後の目標やプランを教えていただけますか
まずは足を休めなきゃいけないと思うんですけど、僕はまだまだ自分の限界みたいなものを感じていないんですね。まだまだいけると思っているんです。今後は実業団で競技していくわけなので、めいっぱい自分の身体と向き合うことで、ゆくゆくは日本を出て戦いたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菅原理紗子)
◆矢澤曜(やざわ・よう)
1990年(平2)1月29日生まれのA型。182センチ、63キロ。神奈川・多摩高出身。教育学部社会科社会科学専修4年。自己記録:五千メートル13分43秒84。一万メートル28分45秒56。ハーフマラソン1時間3分31秒。2009年箱根駅伝1区1時間04分48秒(区間賞)、10年1区1時間02分40秒(2位)、11年3区1時間03分45秒(6位)、12年3区1時間03分34秒(6位)。

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