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【特集】リベンジの号砲 第4回 4区 大串顕史

箱根前日に急遽4区を任されることとなった大串顕史(スポ4=茨城・水戸一)。2年前の4区でのリベンジを誓い、4年生という最高学年としての誇りと責任を胸に、陸上人生最後のレースに挑んだ。様々な思いと共に力走した今大会と競走部での4年間についてお話を伺った。
※この取材は1月24日に行われたものです。
「込み上げる悔しさ」
――箱根を走り終えた時のお気持ちは
(山本)修平(スポ1=愛知・時習館)に渡した時に申し訳なかったという気持ちが1番大きくて、やはり柏原選手(東洋大)に渡るまでに少しでも差を詰めて渡すっていうのが僕の仕事でしたし、それを果たせなかったというのが大きいと思います。明大に負けたというのも、結果的に僕が55分切って走っていればひょっとしたら勝てたかもしれないと後から考えると、やはり悔しい部分はあります。
――箱根から約3週間が経過しましたがいま思うことは
やはり日を追うごとに悔しさが膨らんできて、去年3冠をしましたけどことしは3冠全て外してしまって、不甲斐無かったなというのが強く感じることです。
――エントリー変更でメンバー入りをした時のお気持ちは
正直6区を走る予定だったので、4区はほとんど自分の頭になかった区間で、最初渡辺監督(康幸、平8人卒=千葉・市船橋)に言われた時は衝撃という印象でした。2番目に受けた印象が、2年生の時1回走っているのでやはり宿命なのかなと。リベンジというかたちで走ることができたのは良かったなと思います。
――直前の練習も6区の山下りを意識した練習だったのですか
そうですね。一応そういうかたちで練習を進めていました。
――相楽コーチ(豊、平15人卒=福島・安積)にエントリー変更で4区を走ることになったのが前日だったと伺いましたが
そうですね。前日の午前練習が始まってちょっとした頃に三田(裕介、スポ4=愛知・豊川工)の調子が悪いようだったので、いきなり僕にふられたかたちになりましたね。
――三田選手ご本人とは何か話をされましたか
いや、特にしてないです。本人が1番辛い部分があったでしょうし、僕自身が聞くこともなかったですし。三田がだめだったら僕がちゃんと走らなければいけないということは覚悟していました。
――プレッシャーはありましたか
最後だったので、やはりプレッシャーというよりは楽しんで走ろうと思っていました。
――どのようなレース展開を考えていましたか
甘い考えだったのですが、東洋大の田口くんは多分途中で落ちてくるのではないかなと思っていました。1年生ということもありましたし、そういった点でプレッシャーを感じていた部分もあったと思います。途中で追い付きはせずとも、差を詰められるかなと思っていたのですが…。10キロ過ぎた地点でどんどん離れていくのを感じて、ちょっと詰めが甘かったなという部分はあります。
――ペース配分や設定タイムについてはいかがですか
特に監督からは指示がなかったので、自分の中では3分刻みでいこうと思っていました。そうすれば55分半くらいだったので、そのくらいでいければいいかなとは考えていたのですが、予想以上に区間全体がハイペースのレースだったので、あまり良い結果ではないと思っています。
――当日の体調やコンディションは
当日の体調は、いままで陸上をやってきた中で1番のベストな体調にしたつもりではあります。
――調整はうまくいきましたか
調整自体は怪我もなく全体的に順調にいっていましたね。
――緊張はしましたか
いいえ、特にはしなかったです。
――2年前はかなり緊張していたそうですが
そうですね。2年前はやはり最初の大学三大駅伝だったので、チームに貢献しなければという気持ちと活躍しなければいう欲みたいなものがあって、その部分でかなりスタートラインに立った時緊張してしまっていました。ことしはチームで勝ちたいという気持ちだけで臨んだので、特に緊張はしないで走れました。
「リベンジ」
――2年前も4区を走りましたが(区間11位)、4区に対する思いは
僕にとって、箱根というものに対して真摯に向き合う気持ちを生まれさせてくれたのは4区の失敗だったので、4区に対して特別な思いはあります。
――4区の失敗から学んだことや、生かそうと思った点は
4区での失敗で1番大きかったのはやはりチームで勝てなかったということだったので、個人のパフォーマンスだけでは勝てないということを身をもって知ったのが学んだことです。
――タスキを受け取った時はいかがでしたか
正直1分03秒差と言われたので、1分差というのはだいたい400メートルくらいですよね。400メートル差がつくと前が見えないので、とりあえず受け取ったら400メートルくらいだったら縮めたいなと思いました。
――チームの走りを見て感じたことは
やはり修平が頑張ってくれたっていうのが、僕たちの中で唯一の救いかなと思います。
――1番苦しかったところは
僕が走っている場面より1番苦しかった場面は、最後10区の市川(宗一朗、スポ3=愛知・岡崎)が抜かれてゴールした場面です。4年間頑張って積み上げてきたものが目の前で崩れていくというのが、自分の走りよりも苦しかったです。
――自分自身で良かったと思う点は
区間の走りでは、僕としては正直差を縮められなかったという点ではあまり良くなかったとは思っています。それでもこの1年間怪我をせずに初めてできたという点では自分の中で頑張ったのではないかなと思います。
――逆に悪かったと思う点は
差を縮められず、チームに貢献できなかった点です。
――レース中に受けた監督からの指示は
1キロごとのラップを言っていただいたくらいで特に指示はなく、自分の感覚で走っていた感じです。
――どのような思いを込めて5区にタスキをつなぎましたか
1つは本当に申し訳ないという気持ちと、もう1つは修平がしっかり走れればなんとかなるかもしれないという気持ちでつないだ記憶があります。
――何か声を掛けましたか
ちょっと覚えてないです。
――レース後監督からのお言葉は
急な変更だったので、よく踏ん張ってくれたとは言われました。
――総合4位という成績をどのように受け止めましたか
厳しい言い方ではありますが、僕のなかで2位、4位、11位というのは価値のない順位だと思っていますので、やはり4位というのは最低な結果だったなと思います。
「真摯に向き合った4年間」
――競走部最後の試合として、ラストランに懸ける思いはどのようなものでしたか
やはりこのチームで勝ちたいという思いでタスキを受け取って走ったので、箱根で負けてしまったというのはとても辛かったです。
――箱根を走って得たものは
やはり仲間との絆だと思います。
――ご自身にとって箱根とは
4年間かけて挑戦する舞台だと思っています。
――箱根後はどのように過ごされましたか
資格試験の勉強をしているのと、個人的に青森県と秋田県に行ってきました。
――競技されていると旅行に行くのは難しいですよね
学生時代は競技に集中していたので、家に帰るくらいで外に行くことはあまりしませんでした。
――そこで切り替えてリフレッシュの旅行にもなったということですか
そうですね。
――この1年間を振り返ってどのようなシーズンでしたか
春先ベストを2回出してかなり好調でしたし、関東学生対校選手権(関カレ)と日本学生対校選手権(全カレ)で優勝して波に乗っていて良い雰囲気だったので、この勢いで3つタイトルを取りたいと思っていました。でも夏以降歯車が狂い始めて、八木(勇樹、スポ4=兵庫・西脇工)が怪我をして、矢澤(曜、教4=神奈川・多摩)がアキレスけんを痛めて、三田が1人で支えてくれたかたちだったので、僕たちのチーム全体に少し『おごり』というものがあったのではないかと感じています。
――駅伝シーズンの敗因は、気持ちの部分での『おごり』から歯車が狂い始めたという捉え方ですか
去年1年を通して5冠だったので、僕たちは常に勝てるという気の緩みというのが生まれてしまって、夏合宿以降チームの中で不協和音が発生してしまったのではないかなと。
――東洋大が驚異的なタイムで優勝しましたが、東洋大の走りを見て感じたことはありますか
東洋さんには東洋さんのやり方があるので、彼ら自身悔しかった思いがこのようなタイム差を生んだとは思っています。しかし11分差というのも決して1年間で埋められないタイムではないと思っていますので、後輩たちに期待しています。
――競走部での4年間についてはどうでしたか
4年間真摯に向き合ったという印象です。高校時代は本当に陸上と言っても遊び程度でやっていたので。その勢いで競走部に来た時は、最初の数カ月間ギャップに苦しみましたし、そういった意味では4年間真摯に陸上に向き合えたというのは人生の宝だと思います。
――今後陸上とはどのように関わっていきたいですか
せっかく走ってきたので、なるべく自分の中で楽しく走れればいいかなと思っています。
――同期に対する思いは
Bチームの井上(太郎、人4=愛媛・八幡浜)と安永(陽、スポ4=東京・早実)の頑張りが箱根の集中練習ですごく見えましたし、山下(良祐、政経4=熊本・天草)がBチームからなかなかAチームに上がれずに苦しんだのですが、最後4年の意地を見せてくれてAチームに上がってきましたし、もちろん彼ら以外のメンバーも非常に頑張ってくれたので、このメンバーでやれて本当に良かったなと思います。
――後輩に対してのメッセージは
僕たちが箱根で優勝するというのはもう一生かけてもできないことなので、本当に後輩たちには1回1回の箱根で真剣に勝負してぜひ優勝を勝ち取ってもらいたいと思います。
――最後に、渡辺監督はどのような存在でしたか
僕の中で競走部に入ったきっかけが渡辺監督と竹澤さん(健介、平21スポ卒=現エスビー食品)の存在でした。雲の上の存在だと思っていたのですが、監督は親身に全員に接してくれましたし、渡辺監督抜きでは僕の競走部での生活はあり得なかったので。やはり監督の存在というのはチームを左右すると言いますけど、それは大きいですね。優しさで僕たちを包み込んでくれるような人だったと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 片貝早輝子、野宮瑞希)
◆大串顕史(おおくし・あきふみ)
1989年(平元)10月31日生まれのA型。170センチ、56キロ。茨城・水戸第一高出身。スポーツ科学部スポーツ医科学科4年。自己記録:五千メートル13分59秒15。一万メートル29分03秒86。ハーフマラソン1時間04分23秒。2010年箱根駅伝4区58分13秒(区間11位)、12年箱根駅伝4区55分36秒(区間5位)。

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