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the pride of Waseda
【最終回】下平芳弘
最終回は下平芳弘主将(スポ4)のインタビューをお届けする。800メートルで2年時に日本の頂点に立つと、翌年春には日本歴代9位(当時)の記録をマーク。日本中距離界に疾風のように現れ、最前線を駆け続けた若者が今季、人知れずもがき苦しんでいた。記録にも賞杯にも、その動きにも昨年までの輝きはなく、狙っていた世界選手権出場も逃した。奇しくも学校創立125周年のメモリアルイヤーに主将を務める巡り合わせもあった今年。一競技者として、また主将として激動の春を終えた下平はいま、何を思うのか。
――一番最近のレースとしては7月に行われたホクレン ディスタンスチャレンジに出場。第5戦の深川大会、第6戦の札幌大会で800メートルを走りましたが、この大会の位置づけは
日本選手権が終わったあとの試合だったので、日本選手権の結果を受けた流れの中である程度位置づけが変わる試合でした。今シーズンがあまり上手く行っていなかったので、大会に臨む時の気持ちとしては、とりあえず今シーズンでのベストの走りをして、秋のシーズンにつながるような走りがしっかりできればいいかなと思っていました。
――目標タイムは
今年まだ1分40秒台というのが出ていなかったので、そこを一つの目安にしていました。やっぱり秋につながるというのを考えると、区切りとして50秒を切るというのがあったので。
――第6戦の札幌大会では40秒台を記録しました
今シーズンは色んな状況のなかで、自分の走りと感覚が全然合っていなかったんですけど、札幌の時はアップの段階からいつもと少し違うなっていう感覚があって、もしかしたら今シーズンの中ではいい形で走れるんじゃないかなっていう期待も持ちながら臨みましたね。アップの段階でそういう風な感覚があったので、いけるかなっていう気持ちでスタートを切りました。
――秋シーズンにつながるレースになりましたね
そうですね、ひとまずは安心しました。ずっとタイムが出てなかったので、今シーズンは全然ダメなまま終わっちゃうんじゃないかなっていうのがあったので。50秒を切るという一つの目安をクリアできて、自分の中ですっきりした部分もありますし、これでようやくもう一度作り直せるかなっていう感じになったので、良かったです。
――春シーズンを振り返って。今年はやはり6月の日本選手権に合わせていたのですか
関カレや全カレも対校戦なので、チームのために順位をとりたいっていうのはありました。でも今年は個人としては大阪の世界陸上に出ることを一番意識してやってきていたので、やっぱり日本選手権はシーズンに入る時から一番大きな目的と位置づけていましたね。関カレと全カレで悪かったところを修正して、しっかりとした形でのパフォーマンスを日本選手権で出したいなと思っていました。
――その日本選手権はまさかの予選落ちという結果でした
関カレと全カレが終わってから、調子が上がっていて感覚も戻ってきているしタイムもついてきているっていう中だったので、ある程度の走れるっていう自信と期待を持って臨んだレースだったんですけど、ああいう結果になってしまって。日本選手権に臨む前は、決勝でどう勝負しようかっていうことだけしか考えていなかったんですよね。なのに結果が予選落ちで、自分の中では残念だったというか、ショックだったというか。
――目標としていた世界選手権への出場もかなわず、しばらく落ち込んでしまった?
日本選手権が終わってから2、3日はちょっと沈んでましたけど、自分はそこまで深くは考えない人間なのでね。次の課題も明確にありましたし、あんまりへこんでても意味ないので、すぐ切り替えなきゃっていう気持ちではありました。目標を達成できなくてこんなことを言うのもなんですけど、世界選手権には出たかったっていう気持ちはすごく強かったですけど、2年に1回ある大会ですし、たまたま今年それが日本の大阪っていうだけであって、やっぱり来年北京オリンピックがありますから。自分自身の中でも周りの目から見ても、オリンピックの方が重要視されるべき大会だと思ってるので。でも、2年の時に日本選手権で優勝して、その後2年連続で予選落ちなので、次走れなかったら本当に最後かな、とは思います。勢いだけで勝った日本選手権だったので、その後2回連続で予選落ちしたっていうのはまだまだ実力がない証拠だし、色んな大会を経てのリカバーの仕方もまだまだ甘いなっていうのを実感しているので。
――ライバルの横田真人選手(慶大)は実業団選手を抑えて連覇。世界選手権への 切符を手にしました
いつも勝ってる人間っていうのはそれはもちろん強いとは言われますけど、でもいつも勝ってても日本選手権で勝てなければ上にいけないですし、勝つべきところで勝つ人間が上の大会にいけるっていうのが勝負の世界なので。そういう部分では、横田はインカレで結果が出てなくても日本選手権っていう世界陸上の最終選考で勝って上につなげたので、それを示してくれたいい選手だなと思います。僕自身刺激にもなりますし。ずっと「下平さんに勝ちたい」って言ってくれてきた人間が自分より上の舞台に立って勝負してるっていう現実があるので。2年生の時からずっと「日本ではどんなレースでもどんな状況でも1番を取らなきゃいけない」とか、「部の中でも日本選手権とか世界大会で走ってる姿を見せなきゃいけない」っていうのが自分の中に強くあったんですけど、それがゼロに戻ったというか。これからは色んなレースである意味『挑戦』をして、色んな状況に対応できるようなレースの経験の仕方もしていこうって思いました。横田を見ていて、そういうのに気づかされた部分もありますし。目標ではないですけど、強さを象徴するような選手なので、強さという部分に関しては見習って、それを身に付けて、彼の上にいかなきゃだなと思っています。
――やはり2年時に日本選手権で優勝したことは、常にプレッシャーとしてあるのですか
プレッシャーとかってよく言われるんですけど、そんなに自分自身ではプレッシャーとして感じてはいないんですよね。色んなところで「頑張ってね、優勝してね」とか言われて、「勝って当たり前だよね」とかいう目で見られてきましたけど、そういうのはプレッシャーにはなってはなかったですね。けど自分の中では、どうしても結果は残していかなきゃいけないっていう部分は常にあったので。特に今年なんかは主将っていう立場ですし。それが知らないうちにプレッシャーになってたかと言えばなってたかもしれないです。でも、それをプレッシャーだと思ったらますます走れなくなると僕は思ってるので。プレッシャーを力に変えるぐらいの選手にならないといけないなと。自分自身の中ではプレッシャーに負けて走れなかったっていうよりは、自分自身の力がまだ足りなくて走れなかったんだなっていう風に思ってます。
――4年生として、主将としての早大でのラストシーズン。どんな気持ちで今季を迎えましたか
1、2年の時は強い先輩がいっぱいいたので、少しでも上の大会に行こうとか、上のレベルで走りたいっていう思いだけでずっと競技をしてきて、いい意味でがむしゃらだったし、何も考えずにただ純粋に速くなりたいっていうだけで陸上をやっていた時期でした。でも、学年が上がるにつれて組織っていうものを意識し始めると、ただ純粋に競技だけを追いかけることができなくなるっていう現状があって。特に今年なんかは125周年っていう節目の年でもありますし。僕らが3年だった時の上の先輩たちが抜けて戦力ダウンがささやかれてて、やっぱり組織として評価をされる時には主将だったり一番上の学年が一番の評価対象として見られるじゃないですか、それで僕らの学年が一番上になったから弱くなったねって言われるのはすごく嫌だったし。シーズンが開幕するにあたって、個人ではもちろんですけど、組織として充実を図って、あの時は強かったよねって言われるぐらいの組織にしたいなっていう思いを持って今年のシーズンはやってきましたね。そして125周年という節目の年に伝統ある競走部の主将を務めるのは、何かの意味があったというか、使命があって自分は今こういうところにいるんだっていう思いもあって。個人としても組織としても125周年っていう節目の年からまた新しい伝統なり何かが始まっていく時期だと思ってたので、今までの主将とは違う強い思いを持ってやらなきゃいけないなっていうのもありましたし、自分自身、そういうのを持ってやりたいなっていうのがあったので。去年の10月から主将に代わってから、ずっと今シーズンは何が何でもある程度の結果を残していかないとだなと思ってきました。
――主将に決まったいきさつは
僕らの学年自体がそんなに人数がいないので、主将を決める際には苦労はしなかったですね。陸上は個人競技のスポーツなので、個人個人をしっかり見れて全体を把握できる人間だったりだとか、競技力がある程度高い人間でないと皆の前で発言した時の影響力がなくなってしまうし、そういう部分はすごく重要になってきますね。競技力だったり、周りを見れる能力であったり、そこが一番決め手になったのではないかなと。決める時もそういうところで一番話し合いました。でも、誰がやったら上手く行くっていうのは正直分からないので、なった人間がやってみないと分からない部分はありますよね。誰か一人を主将に立てれば、それを周りの同じ学年の人間がしっかり支えなきゃいけないでしょうし、主将になった人間は人一倍自覚を持ってやらなきゃいけないでしょうし。
――主将という立場は良くも悪くも競技面に影響しましたか
主将という立場は、競技面に関しては100パーセント良いかっていうとそうではないかもしれないです。でも、一人一人にかける言葉だったり、皆に投げかける言葉だったりっていうのは責任がありますし、今までとは違って行動も発言もすべてにおいて責任を持ってやっていかなきゃいけないので、自分に厳しさを持ったり妥協ができないっていう部分に関しては競技にとってもプラスになるところじゃないかなと。
――主将をやっていてよかったなと思ったことは
競技以外の部分で、協力とか応援をしてくれる人たちに携われたことですかね。陸上っていうのは自分自身を追い込む競技なので、競技だけやっていると、色んなところで感謝をしなさいよとか、もっと周りを見なさいよっていう風には言われるんですけど、周りが見にくかったりするんですね。上に立って初めて見えるようになったことっていうのはあるし、競技場を離れたところでOBや色んな人に接することが多くなって、色んな人に支えられてこの組織が成り立っているんだなっていうことを感じられたところはすごくいいところだったなって思います。あとは、他の選手はグラウンドで指導している監督しか目にしないと思うんですけど、主将になってそれ以外の部分での監督の姿を見ることができたことですね。監督は競技場では怒りもするし厳しいことも言いますけど、本当は人一倍この組織を愛してくれているし、陸上が好きなんだなっていうことを見ることもできたし。主将になってよかったなとは思いますね。
――駒野亮太駅伝主将(教4)とは話をしますか
駒野とはすごく仲がいいので。あいつと知り合ったのは大学に入る前からで、高3になってからぐらいなんです。高3の冬に都道府県駅伝があって、東京チームで一緒に出て。初めはあんまり好きじゃなかったんですよ、あいつが強かったんで(笑)それ以前から少し話したりしてまあ仲は良かったんですけど、大学入ってからすごく仲良くなって、今は暇だったらいっつも一緒に行ってるんじゃないかというぐらい飯にも行ってます(笑)駒野は信頼できる人間の一人だし、色んな部分で相談したり、助けてもらってるし。いい奴ですね。
――本多浩隆(スポ4)選手も以前、「下平に走りを見てもらってよくなった」などと下平選手に対する感謝の言葉を述べていましたが、よくアドバイスなどをするのですか
僕は結構好き勝手なことを言うので、外から見てああ、こうだなと思ったことに関しては言いますけど、別に僕の言ってることがすごくいいことだったりだとか正しいって言うわけではなくて、速くなったのは本多自身の努力の結果だと思います。僕はぱっと思ってぱっと気づいたことを言ってるだけなので。でも走りに関しては本多とはよく話はしますね。他の選手に対してはあんまりアドバイスはしないかな。
――本多選手に対しては六大学対校のあとに説教していましたが
今となっては僕が説教される立場なんですけど(苦笑)春の段階で本多はずっとトラックで走れてなくて、やっぱり4年だし、このままだと最後のシーズンどうしても悔いが残ってしまうと思って。同じ学年として一緒に4年間やってきた仲間なので、「みんなですっきりして引退したいね」っていう話をその時はしていて。あの時は僕が見た限りでは走りに気持ちが入っているようには見えなかったし、少し変わっていかなきゃいけないなと思っていたので、これはちょっといかんなということで話をしました。
――ワセダである誇りや、エンジに対する思いなどはありますか
エンジのWって、ずっと僕の憧れだったんですよ。渡辺監督の駅伝の時代からそうですけど、大学の陸上界で言ったらエンジのWの印象が強かったし、憧れでもあって。そういう思いを胸に競走部に入ってきました。でも、1年の時は、伝統だったりだとかエンジのWっていうものに関してある意味でギャップを感じた学年だったんですね。僕は伝統のない中学、高校でずっと過ごしてきて、何でも1番で来た人間だったので。伝統校って理不尽なこともすごく多いじゃないですか。例えば自分ではそこそこだったなって思っていたレースでも厳しい評価だったりだとか、自分はすごく強い気持ちを持って走っているのに「やる気あんのか」って言われたりだとか。そういう部分で、自分を否定されてるじゃないですけど、すごくギャップを感じたし、「ああ厳しいな」って思って。一時期は陸上があんまり好きじゃなかった時期もあったんですけど、学年を重ねるごとに1年の時に感じたギャップとはまた違う伝統の形を見たり感じたりすることができて。先輩方の色んな話を聞いたりだとか、特にリレーとか駅伝だとかに関しては伝統の中にある絆とか、昔の人たちが色んな思いを持って陸上をやってきたからこそ、今エンジのWを着て走っている僕らがいるというか。ワセダって結構愛校心が強いって言うじゃないですか、こうやって組織や大学を好きになっていくんだなっていうのはすごく感じられましたね。自然と雑誌のインタビューとかで聞かれる時も、何かと『ワセダの』とか、『エンジのWが』っていう風な言葉を口にするようにもなるし、意識的にもそういう言葉を発していきたいと思うようにもなるし。
――ワセダに入ってよかったと感じていらっしゃいますか
ワセダに入ってよかったなというのはすごくありますね。人と人とのつながりが強いですし、競技に関しても大学でここまで一線を目指して真剣に取り組んでいる学校っていうのもそう多くないですし。レベルの高い中で競技や生活ができているので、そういう部分ではこの組織に入ってきてよかったなと思います。まあやっぱり一番は人間ですね。僕、基本的に人が好きなので。仲良しこよしの集団ではなくて、いい意味ですごくまとまりがあるというか。個人個人の意識が高いからこそ、こういう集団になるのかもしれないですけど、競技だけじゃなくて日常生活の中でも人間関係っていうのがすごくいいですし。色んなところを総合しても悪いところが見当たらないですよね。4年間ここでやってきてよかったなと思いますし、卒業しても、一人のOBとして、また競技者として、下の子たちの活躍を応援していきたいなと思います。
――長距離チームは今季三大駅伝すべてへの出場が決まりました。下平選手自身も高校時代には駅伝を走ることもありましたし、駅伝を走りたいという思いはないのですか
入学してから、駅伝をやらないかとはずっと言われてきていて、一番初めも本当は長距離に来ないかって言う誘われ方をしていたんですけど、でも僕の中で中距離って言うのがすごく大きかったので、「いや、中距離をやらさせて下さい」って言ってこの組織に入ってきて。今年三大駅伝に出れるっていうのは、前の藤森主将だったりとか、現・駒野主将だったりとか、上に立つ人間と走ってる選手みんなの努力の成果だと思うんですね。長距離の人からも「出雲なら走れますよね」とは言われるんですけど、純粋に長距離の中から強い人間が出て勝負をするっていうのが一つの形だと思うし、僕があまりしゃしゃり出るところでもないかなと。まあでも駅伝を走りたいっていう気持ちは若干はあります。箱根はちょっと厳しいですけど(笑)、短い部分に関しては、出雲とかには高校の時から憧れや走りたいなっていう気持ちを持っていて。僕が仮にこの夏しっかり走って、大会の前になって「下平、チームのためになるから走ってくれ」とかって言われればもしかしたら走る可能性もないとは言えないです。でも、長距離は休みもなかったり、しんどい練習をしている中で色んな思いを持ってやっている子たちがすごく多いので。僕が何かをむき出しにして「走るから」って出て行くところじゃないと思います。
――今(7月)のところは長い距離は全く練習していないのですか
そうですね。今は一応夏の鍛錬期で、少し距離としては伸びてはいますけど。僕は800やってても1500もやる人間で、どっちかというと長い距離寄りなのでね。でも、そんなに長距離を走るための練習というのはしていないです。
――早大での残りのシーズンの目標は
もうこの夏で実質的に世代も変わったので、何も気にせず競技に打ち込めるのがこの秋だと思っています。秋のシーズンは早慶戦、早関戦という対校戦があるので、そこをしっかりと勝って終わることが僕の中での主将の最後の一つの形になると思っていますし。そして、秋は大会が少ないのでピンポイントにはなりますけど、もう一回今年自己記録を、最低でも1分47秒前半ぐらいを狙っていきたいです。しっかりと形になれば、シーズン前半は色々ありましたけど、いい形で学生の競技は終了できるんじゃないかなと思いますし、またそれが来年にもつながっていきますし。この夏と秋のシーズンは思い切って、もう一度初心に戻って、一から純粋に陸上を頑張っていきたいです。グラウンドにいる時は、自分はどうやったら速くなるんだろうとか、上にいくためにはどうしたらいいんだろうとかっていうのを純粋に考えて陸上をやっていこうかな、と。
――卒業後は
実業団に関しては、実際来年の春にならないと分からないことがいっぱいあるんですけど、企業に行ってまで競技を続けるって言うのは色んな意味ですごいことだし、評価に関しても今以上に厳しいものにもなっていきますし。今年みたいに春のシーズンがだめでした、じゃあ来年頑張ればいいやっていう場ではないと思うんですね。一年一年が勝負になってくると思うので、秋のシーズンを経て最終的にこの大学の競技生活で得たことをしっかりと生かしながら、今度は同じ組織の中ではなくて、違う意味で学生から目標とされるような選手になれるような選手でありたいなと。記録もですし人間的にも、ああこの人と陸上やってたんだなって、すごかったんだな、っていう人間になれるように、実業団では頑張っていこうかなと思っています。
(取材・編集 石川祥子)
◆下平 芳弘(しもだいら・よしひろ)
1985年(昭60)10月28日生まれ。180センチ、63キロ。
東京・南多摩高出身。スポーツ科学部4年。
自己記録 800m:1分47秒92、1500m 3分46秒98、5000m:14分35秒8
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