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wasedasports.com >  陸上競技 それぞれの箱根路 〜1月3日 大手町で歓喜の「都の西北」を〜 > 第5回 相楽豊コーチ


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 カウントダウンスペシャル!箱根インタビュー  



 第5回 相楽豊コーチ

 選手や監督からの信頼も厚いワセダの名コーチ、相楽豊。監督いわく「選手時代は苦労人。名選手ではなかった」相楽コーチだが、いまや監督の右腕としてフル稼働する。「なくてはならない存在」と監督がほれ込む相楽コーチに、指導理念や早大への思いを語っていただいた。(この取材は11月30日におこなったものです)

 ―就任前は、福島で非常勤講師をやられていたと伺ったがコーチ就任のきっかけは
 非常勤講師時代に渡辺監督から声をかけていただいたのですが、最終的に決断したのは現役時代の出来事が大きいです。僕の現役時代はスターがたくさんぬけたあとの変革期。四年時に僕はキャプテンを勤めました。その前年箱根で3位になったのですがそのときのメンバーが7人くらいかな?残っていて、今年もいけるんじゃないか?ということで頑張っていた。しかし本選前に僕含め故障者がでて結局15位になってしまったんです。「自分がワセダを決定的に弱くしてしまったんだ」という後悔というかそういう気持ちがとても強く卒業してもずっとありました。卒業後も試合の応援は来ていて、卒業後二年目の箱根では6区の付き添いを手伝わせてもらいました。そのときに監督と一緒の部屋に泊まり、「コーチが欲しい」といわれたんです。あのような(朗らかな)方ですから、最初は冗談かと思ったんですが、地元(福島)に戻った後正式に電話が来まして。「一緒にやりたい」とお誘いをいただきました。早大のコーチなんて、オリンピックレベルの選手がやるようなものだと思っていたのですっっごく迷ったんですが、最終的には受けました。

 ―上武大の監督からも誘われていたと監督がおっしゃっていましたが
 ええ。その頃花田さんがやってらして。上武大からも実はコーチをどうか、というお話をいただいていました。

 ―そんな中最終的になぜ早大を選んだのですか
 やはり母校であるということからワセダへの強い思い、それから自分が弱くしたんだという後悔が決め手ですね。花田さんも早大のOBでしたから、ワセダにいくなら仕方ねえな、といってくださいまして。それとその頃の早大がまだ低迷期だったということも大きいですかね。再び強くなっていたらお話を受けなかったかもしれないです。

 ―本格的なコーチ業は早大で初めてですか
 教員のとき、色々な陸上部をみてはいました。母校である高校や、クラブチームなどです。でもそこまでの本格的指導ではなかったので。

 ―渡辺監督がコーチを「僕にないものをすべてもっていていろいろな面で助かる」と評価してらっしゃいますがご自分でもぴんとくるものはありますか
 いえ!逆に監督が僕にないものを全てもってらっしゃるんですよー。だから二人で一人、足りないものを補うという側面はあるかもしれない。確かに僕は性格が割と細かく、監督とは目線や視点が違います。監督は本当にスターだった人なので、何か言えば説得力がすごくあります。僕はそうではなかったので、教えている選手のほうが自分より強いランナーであることのほうが多い(笑)。だからデータや数字で見てあげるとか、細かく考えます。もともと学生時代ゼミでコーチングの勉強をしていて、体育の教員だった時期もトレーニング方法を仕入れていたので、それを使ったり。それとトップクラスじゃない選手のことは、僕が等身大で見れますから。目標はもちろん同じところにあるのですが、僕と監督はないものを補い合って指導しているのかもしれないですね。

 ―ある選手はそんなお二人の指導を「絶妙」といっていました
 そうですか!!監督は本当にすごい選手で本当の天才で、なんでもできちゃった人です。だから何かをやる時に、スタートする時点ではっきりとしたゴールというか目標をばんっといきなり選手に掲げるんです。それはもちろん説得力はあるから選手はついてくるが、選手にとってはあいまいであるスタートからゴールへの行き方を埋める作業を行う、いってみればこれが僕ですね。選手もそんな僕らを、認めてくれているのでしょうか(笑)。

 ―コーチに山を走った経験があることも監督には心強いとききました
 監督はエース区間を走る選手でしたからね。僕もコーチになり、監督車に乗ってはじめて知った区がたくさんあるのですが、箱根駅伝は自分が走った区以外は意外と知らないんですよ。それで山の経験がある僕が去年から山の指導は全部任されています。

 ―今年も監督は山に関してはノータッチ?
 ノータッチといいますか、僕が中心になってやっているだけで、一人で全部やっているわけじゃないんです。相談もたくさんして、情報を共有しあっています。だから最終的には、僕の言葉=渡辺さんの言葉ということになりますよね。

 ―普段の指導は(主力ではない)B・Cチームを担当していらっしゃると伺いましたが、具体的にはどんな選手を
 B・Cチームというはっきりしたくくりがあったのは実は(コーチ就任)一年目だけです。二年目からは移動が活発になりまして、境界線があいまいになってきています。それだけ下の子が強くなったということだし、今年は特に底上げが進みました。主力だから監督、さがったら僕というよりは、今は二人で全員見ると言った方が正しいくらいです。最終的な野望としては僕は長距離ブロック一個のまとまりでやりたいんです。

 ―しかし下でコーチが指導した選手が実際にめきめきと力をつけていますが、ご自身の功績とは
 まったく思いません!!彼らの努力の賜物だと思います。箱根を走るのが選手の夢で、かなえる道筋を整えてあげるのが僕の仕事です。きつい練習を出すのは僕かもしれないが、こなしていくのは誰でもない選手たち。力がついているのは本人ががんばった証です。

 ―監督はそんなコーチの手腕を「相楽再生工場」(調子を落として主力から遅れた選手を見事復活させることから)と呼んで評価されていますが
 そうですか?!ありがたい限りですが。落ちてきた選手というのは、もともとは走れていたはずなんですよね。単純に考えて、落ちた原因を解消すればもとに戻るはず。なんで調子が落ちたかを示し、元通りに戻すことが大事ですね。

 ―指導の時には実際に選手とともに走られますか
 一年目は体も作れていたのでプレイングコーチという形でやらせていただいていましたが、今はたまにしか走っていません。怪我をしたと言う理由もあるのですが、自分が走っていると見えないものがたくさんあることに気付いたからです。一緒に走らず、みていたほうが細かいところや色々な動きが見られますから。ただでさえたくさんの部員を二人で見ていたので、自分が走っていたら下の選手を指導できないんですよ。

 ―では具体的に、指導する上で何に重点をおかれていますか
指導する選手によって違います。陸上は単純なスポーツですが、体力、精神、技術その三つ全てが備わって高いレベルにいくことができます。その三つのどこに的を絞るかは人によって代わってくるんです。たとえば推薦で入ってきた子は精神力は強い、向上心はある、では体力・技術どうする?と考えますし、逆にBチームの一般入学の子は日常生活どうするかなどの意識あげることに重点を置きますね。このように何に重点を置くかはここに応じてかえるように心がけています。

 ―柱とする理念があったら教えてください
 自分のスタイルを押し付けることは絶対にしないことです。

 ―選手自らこうしたいと話があったらそれを尊重するなどですか
 まさに、そのように自主的に言ってくるのを目標にして指導しています。言わせたら勝ち!と思っています。トレーニングはやらされるものではなくやるもの。何をトレーニングするかを自分で考えることがとても大事です。違ったら促したり徹底的に話し合いますが、絶対に押し付けない。納得して取り組まないと意味がないですから。上級生なんかは、メニュー自分で考えてきて、こういう風にあげていって、この日には主力チームに合流したいです、なんていってきてくれますよ。

 ―精神的な指導などは
 人に言われたきついことをどれだけ耐えられるかで精神の強さを決めたり、耐えることを説いたりはしません。人に言われて我慢できる子もいるがそれでは意味を成さない。結局は「しろ」ではなく、自分でやりたいといってやらないとよくならないんですよね。だから本人に目標を持たせる。納得してやってもらうように、じっくりと話をしています。

 ―時に厳しいことをいったりも
 監督よりも僕のほうがいうかもしれませんねー。でも、早大に来ている子は目的意識をしっかり持っている子がとても多いですから、話してわからないような選手はいません。それでも目標見失っている選手、一度指導したのに変わらない選手がいたら、厳しい言葉をかけますかね。でもここでも怒鳴って威嚇するのでは何も意味がない。本人に気付かせるのが一番大事ですから。ただ今は本当に少ないかな。チーム全体で目標が本当にしっかりしていますから。

 ―今年就任三年目ですが就任当初と変えたことはありますか
 そのとき指導している選手に応じて指導スタイルは変えていかざるを得ないです。教員時代や就任当初は今より厳しかったんじゃないでしょうか。今は選手たちがだいぶすごくて、行動が全然違いますから。

 ―現役時代についてお尋ねします。現役のときから渡辺監督は特別な存在でしたか
 もちろんです。陸上に興味を持ったきっかけが渡辺さんでしたから。僕が駅伝興味持ったときはワセダが強くてねー。駅伝ならワセダ、ワセダなら渡辺、強い!というイメージがありまして。常にみていました。

 ―現役時代最もつらかった出来事はなんですか
 最初にいった4年生のときの箱根です。11月、12月あたりから故障者が続出し、どつぼにはまっていきました。間に合わない!ともがいてもがいて結果やっぱり惨敗で…一生走らないし、携わらないと決めたほどです。夢にも何回もでてきました。

 ―それがなぜもう一度走れたのですか
 箱根後一、二ヶ月何かの大会にむりやり同期で出まして、そのときもその日しか走らない!と決めていたんですけどね(笑)。それが楽しかったんですよ!改めて好きなんだなーと気付かされたわけです。

 ―山は下りも上りも経験されていますがもとから山を走るつもりで練習していましたか
 箱根は走りたくて大学来たのですが、どこの区でもよかったんです。それが当時のコーチが、お前は福島出身なら走れそう、となぜか言い出しまして上りをやりました。それで上りのコースには最後少し下りがあるのですが、それが早かったらしく。じゃあ下れ、となったんです。

 ―そんなコーチからみて駒野選手はやはり山にあっていますか
 彼は上るために陸上やってきた選手ですから(笑)。適正はかっても山に強いというデータがどんどん出てきますよ。調子悪いときでも山では走れる。だから、結果ももっともっといけると思っています。

 ―現役時代自分が選手としてやっていたことを念頭に置いて今指導されていますか?
 根底にはありますが、自分のやったものを伝えるのがすべてでは選手がコーチを超えないんですよ。だから経験はミックスしますが、それだけではないです。怪我のときの経験は、怪我した選手に対しては使えますが、レース指示、トレーニングなどはそれだけではとても足りないです。

 ―当時のコーチ、監督など指導者に言われたことは影響していますか
 そうですね。生かしています。そのままではなく、自分の中で消化して伝えています。選手として携わってきたことが、指導者として生きているとは思います。

 ―最後に、コーチのことを「右腕としてなくてはならない存在」と話す監督は、逆にコーチから見て改めてどんな存在ですか
就任時は神様のような存在でした。選手のレベルとして考えたときに、僕とは雲泥の差ですから。ただそれはだんだん変わってきたのかな。右腕といってくださったのなら――兄貴であり、よきパートナーですかね、とても恐れ多いんですけどね(笑)。

(取材・編集 渡邉りさ) 






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