| hp特別連載コラム | |
| リレーエッセイ〜鬼殺し〜 |
| 前回「環境」を受けて | |
| 第43回 個性 |
執筆者 島田智子 |
|
「生真面目で神経質」なA型。「大雑把だがおおらか」というO型。「個性的でマイペース」なB型。そして「変わり者」というイメージが強いAB型。さて、あなたは何型ですか? 性格判断を信じているわけではないけれど、言われるとつい頷いてしまう血液型。肯定派、否定派。人によって様々だと思います。私はA型。すぐに言い当てられるほど、世間の持つA型のイメージが当てはまる性格です。これまで友人はほとんどがAかO。B型の友人はあまりおらず、AB型となるとほとんどいないといった環境で、彼らに対し「個性が強く自己主張が激しい」というイメージを持っていました。周りにB型やAB型の人が少なかったのも、自分とは違った性格の人たちだという思い込みのせいで、彼らをそれ以上理解することから無意識のうちに避けていたのかもしれません。これまで―――早スポという新しい環境に入るまで、そんな自分がいました。 突然、血液型の話から入ってすいません。お題は「環境」。3年になって住み慣れた関西を離れ、早稲田大学に来た春からもう1年が経とうとしています。京都の大学に通っていた頃に読んでいたリレーエッセイを、まさか自分が書くことになろうとは・・・。照れくさくって、同時に誇らしい。少し感傷に浸りながら、書かせてもらいます。 光陰矢のごとし。本当にあっという間の1年間でした。右も左もわからないなかで、早スポに足を突っ込んだ当初は戸惑うことばかり。飛び交う標準語に眉をひそめ、ほとんど知らない早稲田の選手の話に心が挫かれることもしばしば。ですが、私が一番頭を悩ませたのは、実は人間関係でした。皆で一つのものを作り上げる、チームワークが必要不可欠なサークルだけに、団結力は抜群。特に私たち3年生は男女ともに仲が良く、笑いの絶えない学年です。けれども、それこそが私の悩みの種でした。既成の輪の中に割り込んで良いものか、入っていけるのか。仲間たちの個性の数々についていけるのか。自他共に許すほど個性がない私は、キラキラと輝く彼らを羨み、憧れました。しかも3年の女子のそれは非常に強く、主張もはっきりとしたしっかり者ばかり。今まで私の周りにいた友人とは、明らかに違う種類の人たちでした。 それもそのはず。血液型はほとんどがBかAB。強い色が集まった固い輪の中に、薄い色しか持たない私が入っていけるのか。これといった特技があるわけでもなく、どちらかと言うと目立たない。はっきりとした主張を持たず、説得されると何でも信じきってしまう。だからB型やAB型はいつもまぶしくて、近付き難い存在でした。その中に入っていくこと。これは、ある意味私のチャレンジでした。中学、高校、大学と内部進学を続け温室でぬくぬくと育ってきた私にとって、新しい環境に入ることは挑戦以外の何物でもなかったのです。けれどもそれを覚悟で早稲田に来たのだから、言わば背水の陣を敷いたつもりで図太く入っていくしかない。そう言い聞かせて飛び込んだ個性の水たまり。するとそこは氷の海なんかではなく、例えるならば温水プールでした。どうしてと思うくらいに気が利き、笑顔で受け入れてくれる仲間たち。強い個性も確かな主張もない私を刺激し、包んでくれました。私もその個性の中で、1年間懸命に泳ぎきったつもりです。温泉ではなく、自分の意志で泳ぐ温かなプール。血液型も個性の強さも関係ない、要は自分の気持ちの持ちようだったのだ、と改めて実感させられました。 私は、自分のことをスポンジのようだなと思います。初めは自分の意見を持っているつもりでも、周りの意見を聞くとすぐに吸収し、ふにゃふにゃになってしまう。気付けば「あれ、私の初めの主張は?」。わからない。けれども私は最近とてもプラス思考で、時間が経った後、吸収したものが自分の中で息づいていればいいかなと思っています。スポンジって水を吸い込むと柔らかくなるけれど、その水に何か物質が含まれていれば、乾けばさらに固くなる。みんなの個性を含んだ意見をどんどん吸収して、固くなりたい。それに、自分の中には周りには譲れない強い意志が一つある。「本が好き、書店が好き」。どれだけ揺さ振りをかけられようともこの気持ちだけは変わらない自信があります。優柔不断なこの体を東京にまでつれてきてしまったのだから。この気持ちを軸に、芯のあるスポンジになりたい。それが「個性の弱い典型的A型」の目指すものです。でもたぶん、この1年でずいぶん鍛えられた気がするなぁ(笑)どうでしょう?早スポの皆さん。みんなのおかげです。 ではでは、次は血液型も卒業もお金の行方もわからない、小口太郎くんにつなげたいと思います!個性の塊・小口くん、そのまま「個性」について語って下さい。 | |
| 次回の執筆者は小口太郎です | |
| 前回「春」を受けて | |
| 第42回 環境 |
執筆者 大森麻衣 |
|
まだまだ寒いけど、もう立春過ぎましたね。春です、春。早く暖かくなるといいなぁ。そうすればスポーツもどんどん始まるし。私はみんなみたいに真面目に語れそうもないのですが、早スポ活動最後の執筆ということで私らしく書かせていただきます。
「春」と言われて熟語を考えたら、一番に思い浮かんだのは"青春"という二文字。いい響きですよね!?もちろん辛かった思い出、悲しかった思い出もあるとは思います。でも、青春の1ページって考えるとなんだか素直に受け入れられる。たった二文字なのにいろいろなことが思い出される不思議な言葉ですよね。一体、青春ってなんだ?私の答えは「自分自身を形成する期間」ということでした。大森麻衣を形成してくる間にはさまざまな環境がありました。そして、そこで知り合う多くの人々がいたからこそ今の私がいるのです。 環境というのはその時々によっていろいろですよね。小学校、中学校、高校、大学。もちろん家族もそうだし、習い事、バイト・・・挙げたらきりが無いくらい多くの環境の中で人は生活しています。私はこの中で一人の大森麻衣を形成してきたのですが、それぞれに応じた自分がいたように思います。 小学生時代の私は絶対スカートははかない、ピアノは女の子のやることという固定概念からピアノはやりたくない、口が達者でいつも男の子と口ケンカ。「女の子らしくしなさい」と言われるタイプ。中高は一貫校に通ったために学年のみんなはだいたい私がどんな子か把握していて、気を使うことのない温床での生活。私に形容詞がつくならば「バスケ部の大森さん」だったのではないか。バスケ部では今でも一緒にバカをできる大事な仲間、そして、私の中高時代を最も理解してくれていた顧問との出会いがありました。現在の大学生活の中心は早稲田スポーツ新聞会。全国各地から集まったみんなが自己をしっかり持っていることに驚きを感じ、思ったことは主張しなければこのサークルではやっていけないとスタートを切ったのはついこないだのような気がしますが、もう引退。早稲田スポーツ新聞会では責任ある仕事をやらせてもらい、人をまとめる立場に。幼い頃から人前に立つのは嫌いではなかったため、最初は楽しみたいと思っていたが、思い通りにいかず、悩むこともありました。それによって今まで以上に仲間たちとの協調性の大切さを知ったような気がします。 このように、様々な環境によって、そして相手によっての大森麻衣がいる訳です。二重人格とかって言うと悪いイメージですけど、いい意味でいろいろな自分がいて、どれも自分らしいなと感じられています。自分が好き!?(笑)これって、環境に恵まれた証拠ですよね。今まで私に関わってくれたみなさんに感謝!そして、これからも温かい目で見守ってくださいね。 ではでは私の思い出話はこの辺りで終わりにして、次は約一年間、京都から国内留学(?)しています島田智子さんに語ってもらいましょう!東京という異なった"環境"に飛び込んで、どうでした?引越しとかまったくしたことのない私には未知の領域・・・「環境」というお題でお願いします☆ | |
| 次回の執筆者は島田智子です | |
| 前回「新しさ」を受けて | |
| 第41回 春 |
執筆者 廣瀬理沙 |
|
新年明けましておめでとうございます。新しい年の始まり。今回は「新しさ」
という新年にふさわしいお題を頂きました。では、さっそく。
新しく出会うもの、新しく出会う人、新しい経験。「新しい」ことに出会うと 今まで知らなかったことに出会えたようで嬉しいです。出会った時は嬉しくない ことだってたくさんあります。「嫌だな」とか、「知らない方が良かった」とか。 でも、新しいものに出会うということは、自分にプラスになること、自分を成長 させてくれるものだと思います。特に新しい物ではなくて、新しい経験と新しい 人に出会った時ですね。そこにはそれまで自分とは違う経験を積み、自分と違う 感情、性格を持つ相手がいます。どんな人であれ、その人と関わるうちにいろんな 気持ちを味わって、新しく学ぶこともあるし、意外な自分を見つけることもある と思うからです。だから、自分から人と交わろうとする気持ちを持ち続けることが 大切なんだと思うし、今の私もまだまだ足りないと思うけれど、そういう気持ちは 持ち続けたいと思います。 それから、「新しい」っていうことは人それぞれ。私は新しいと思っても、 他人には何でもないごく当たり前のことはよくあります。だからもうひとつ大切 なのは、自分がいつも新しさを感じられる人であること。毎日の生活の中で出会う ことを、ただ何となく見過ごすのではなく、いかに心に留められるかだと思います。 全てのことに一つ一つこだわっていたら、疲れちゃいますけど、「あっ、こういう こともあるんだ」とか「この人って、こんな一面もあるんだ」とか、すぐに忘れて しまっても、その一瞬ふと足を止めるのもいいなって思います。 少し外れますが、季節が変わって新しい季節を迎える。私が好きなことの一つです。 木の芽がふくらむ。桜が咲く。若葉。紫陽花が雨に濡れる。中秋の名月に、日が短くなること。 季節って日々移り変わっていくんだなと思います。新しい季節で思い出すのが 「節目を大切にしなさい」。中学の時、新学期に先生によく言われた言葉です。 毎日忙しくどんどん過ぎていく大学生活。最近この言葉を思い出しました。 「新しいことを始める時は、気持ちを新たにして先へ進みなさい」ということだと 私は思っています。今年の春から、大学院へ進むことになりました。前向きに、 マイペースに進めたらと思います。そして、新しいことにたくさん出会えたらと思います。 それでは、今年が皆様にとって良い年でありますように。(早スポにとっても。) では、次は「春」というお題でお願いします。よろしくねっ、大森麻衣さん! | |
| 次回の執筆者は大森麻衣です | |
| 前回「なみだ」を受けて | |
| 第40回 新しさ |
執筆者 堤之剛 |
|
泣けないし、泣かないし、泣いている場合じゃない―。ふっと感傷的な気分に浸
ると、いつもそう思って、フラットな自分に立ちかえる。だから人前で涙を流す
ようなことは、決してない。それは、どれだけ心を許している友人であれ、かけ
がえのない大切な人の前であれ、絶対に変われないし、変えるつもりもない。そ
れだけは譲れない。
せっかく「なみだ」というきれいなお題をもらっておきながら、水を差すような ことを書いてしまってスイマセン。でも、昔からそうなんです。人前で自分をさ らけ出すことって好きじゃないんです。『なぜ?』って、そういう環境でずっと 育ってきたから。涙を流しても、まわりが何か助けてくれるわけじゃない。自分 の涙でその状況が一変することなどない。いや、むしろ泣いている時間が損だと 思ってしまうのです。泣いている時間があれば、何か次に進めることができるだ ろうって。そう言いながらも、号泣したことだってあります。たった2回だけで すけど、記憶がなくなるくらいに・・。一生分の涙と思えるくらい、延々泣きま した。でも今振り返ると、このときの涙が今のわたしを支えていると言えるかも しれません。いわゆる挫折っていうやつです。 思えば、私の人生は挫折の連続。大きな挫折はその2回だけですけど、今でも毎 日が失敗の連続。物覚えもわるければ、器用でもなく、要領もよくない。常に自 分に苛立ちを感じています。だからこそ、人よりも同じことを何十倍も反復しま す。幼い頃からその姿勢は変わりません。それは、「頑張る」とか「努力する」 とか、そんなきれいなニュアンスとは違います。「頑張る」とか「努力する」っ ていう言葉は口には出しますけど、自分を正当化している感じがして、どうも馴 染めません。そういう言葉を使った時点で、人生を楽しめなくなっている気がす るので。だいたい、どんなことに対しても、まっすぐ自分の最大限のことを出し 尽くすことが当り前だと思うし、なんでも本気で取り組まなければ、なにも得る ものはなく、次に進めることなんて出来ないと思います。 「頑張った」とか「努力した」って言葉は、自分が思い描いていた以上のことを 成し遂げたときに初めて使える言葉かなと感じています。 自分が想像のできる範囲や規定路線、規定概念のなかで物事が進んでいくことを 私は好みません。特に「既成概念」という言葉は決して受け入れられません。常 に新しいことを仕掛けたいし、新しいことを追い求めたいと考えています。立ち 止まりたくないのです。「ベストは尽くすものではなく、超えるもの」、「リス クは避けるものではなく、乗り越えるもの」。常に心に銘じています。もちろん 、いつもいつも強気にいられるわけではありません。悩むことだってあります。 うまくいかないことだってあります。弱気になりそうなことだってあります。で も、どれだけ困難な場面に置かれても、私の最終的な行動は決まっています。「 攻め」の一手。だから以前に在籍していた大学に通いつつも、早稲田を再受験し ようと決めた時でさえ、誰に反対されようと即決でした。自分で一度決めたこと を貫徹することは当然だし、自分の信念だけは譲れませんでした。自分に負ける なんて私の選択肢にはありえません。お金も寝る時間も全くなかったけど、あの 一年で得たものは大きかったです。でも、それもすべて新しいものを追い求めた い一心からです。 話は変わりますが、ずっと大切にしていることばがあります。「我以外皆我師」 。本当に人から教えられることは多いし、尊敬することって大きいと思います。 どんな状況であれ、人から学ぶということを失ってはならないと思っています。 正直、必ず実践できているかは疑問ですが、誰からでも学ぶという姿勢だけは保 持し続けているつもりです。月並みな表現ですが、人から学ぶという姿勢を失っ ては何も残らないし、新しいことを追い求めるなんてことが出来ないと思うから です。 さて、私のこのサークルでの生活もあと二ヶ月となりました。成し遂げたいこ とは、二つ。読者の皆様の想像をはるかに越える新聞を提供させていただくこと と、個人的な目標です。これらを達成出来た時に、将来のことを真剣に考えられ るかなと。将来進む道は決めています。常に身軽に、そしていたずらに社会に迎 合することなく、新しいことを追い求めようと思うこの頃です。 まとまりのない文章になってしましました。申し訳ないです。ということで、バ トンタッチします。廣瀬理沙さん、お願いします!ずばり、お題は「新しさ」で 。 | |
| 次回の執筆者は廣瀬理沙です | |
| 前回「思い出」を受けて | |
| 第39回 なみだ |
執筆者 白沢かおり |
|
夏にまつわる思い出、ですか。楽しかった思い出はたくさんあるけれど、やっぱり記憶に強烈に残るような思い出って「涙」がからむようなモノだったりしませんか?元気ハツラツ(ノーテンキ?)な私でも、涙を思い切り流した日があります。
4年前、梅雨明けの暑い夏の日。影も伸び始めた午後2時プレイボール。――第82回 全国高等学校野球選手権 千葉大会―― 高校時代、私は野球部のマネージャーをしていた。その最後の年、我が野球部は順調に勝ち進み、ついに4回戦でシード校と対戦。試合は、先制するも地力で勝る相手校にジワジワと追いつめられる展開で、7回に逆転される。2−4で9回の表、最終回の攻撃を迎えた。得意としていた機動力を駆使した攻撃で、1死二、三塁のチャンス。この場面で打席には1年間チームを支えてきたキャプテン。監督の2ランスクイズのサインに見事応え、焦った相手校の守備のミスを2つ誘い、打者走者のキャプテンも生還した。土壇場で5−4と逆転に成功したのだ! しかしその裏、先頭打者を打ち取ったものの、連打を浴びて1死一、二塁。迎え た3番打者の打球は、一、二塁間への痛烈な当たり。二塁手が飛びついて、砂煙 が舞い上がる…。「万事休す」誰もがそう思った次の瞬間、二塁手は白球を一塁 へ送球。2アウト。流れを完全に引き寄せたプレーだった。そして「あと一人」 コールと「狙いうち」の応援歌が球場に渦巻くなか、相手校の4番が打席に入る 。その日は2打数で2本の二塁打を打たれていたが、バッテリーは敬遠策を取ら なかった。敬遠をする逃げの姿勢を見せれば、つかんだ流れを手放してしまうと 考えたからだ。しかし。9回を一人で投げ続けたエースの制球を欠いた球は甘く 中に入り、二遊間を抜ける安打となった。三塁走者、ホームイン。前進守備の中 翼手から返球されるが、それより先に、俊足の二塁走者、ホームイン。5−6、逆転サヨナラ――。 私のスコアブックは、最後のプレーまできっちり記してあった。冷静だったとい うよりも、何が起こったのか、分かっていなかった。でも、整列をして、相手校 の校歌を聞いているとき「あぁ負けたんだ」と実感して涙が出てきた。スタンド に挨拶に行くと、ベンチに入れなかった下級生や、応援団を作って応援してくれ たみんなも泣いていた。バックネットには、父母会のみなさんや、いくつ上のob なのかわからないおじいさんもいて、私たちにたくさん声をかけてくれた。悔 しくて、でも嬉しくて。涙が止まらなかった。 私は、この日のことを今でも鮮明に覚えています。蒸し暑い空気、スタンドに轟 く声援、逆転したときの興奮、砂まみれになった二塁手の茶色い涙…。最後まで 笑顔でいられるのは、ほんのひとにぎりの球児だけ。けれど、涙を思い切り流せ るくらい今まで頑張ってきたことは、大きな財産になるはずです。さて、私の長 い思い出話もここまで。次は、男のなかの男、堤之剛くんに「なみだ」でお願い したいと思います。 | |
| 次回の執筆者は堤之剛です | |
| 前回「危機意識」を受けて | |
| 第38回 思い出 |
執筆者 小島伸一郎 |
|
「危機意識」ですか。僕に一番欠けている言葉ですね(笑)基本的にマイペー
スな人間なもので…。もっと「危機意識」持たなきゃいけないんですけど。
まあ、それはそれとして本題に入りましょう。最近、僕が最も「危機意識」 について意識したのが、村上春樹氏の著書「アンダーグラウンド」という本を 読んだ時です。ご存知の方も多いと思いますが、この本は95年の地下鉄サリン 事件で不幸にも被害に遭ってしまった方々へのインタビュー集として書かれて いるもので、当事の被害者の生々しい体験を集めたものです。この本でインタ ビューに回答されている人々の大半が実際にサリンの被害に遭い、その事件の 当日の様子からインタビューを受けた当時の心境を語っています。 ここで僕が一番「危機意識」の欠落を感じたのは、現在の僕たち自身です。 というのは、日本人の多くがこの痛ましい事件についての記憶が薄れてきて いるのではないかという思いを抱いたからです。毎日、様々な出来事が起っ ていますが、それを取り上げる報道は一度盛り上がると収拾がつかないほど 盛り上がるものの、他に大衆の興味を引くような出来事があればすぐにこち らが「あれっ?」というくらい変わり身が早く拍子抜けしてしまうこともし ばしばではないでしょうか?日韓共催のw杯が終わってからもそうでしたが 日本人って熱しやすく冷めやすいですよね…。それがいいことなのかどうか は別として、風化させてはいけないことまですぐに忘れてしまうことってや っぱり悲しいことだと思うんです。嫌な思い出に限らず大切なことはいつま でも心にとどめておきたいものですよね。 ちなみにもっとも大きな被害がでた日比谷線の築地駅は、僕たち早稲田ス ポーツが新聞を作る際にお世話になっている日刊スポーツさんの最寄駅でも あります。普段何気なく利用している駅ですが、そういった痛ましい事件が あったことを忘れてはいけませんね。東京メトロの職員さん、僕たちが安心 して新聞を作れるのは皆さんのおかげです。いつもご苦労様です。 さて、ちょっぴり暗い話になってしまいましたが梅雨があければ夏はもう すぐそこです!今年の夏は何しようかな?なんてそろそろ皆さん予定を立て ていると思います。僕にとっての夏といえば何といっても花火とナイター! 日本の夏はこれに限りますよね!といいますか正直これくらいしか夏の思い 出がない…あとは炎天下での苦しい部活の記憶だけ。今となってはいい思い 出ですが当時は毎日朝が来るのがホントに怖かった(笑)でも夏にまつわる思 い出がある人っていっぱいいるんではないでしょうか?甘い思い出、ちょっ と切ないセンチな思い出、色々あると思います。そこで次回のお題は『思い 出』にしたいと思います。今年の夏はステキな思い出作りましょうっ!と いうことで白沢さん、お願いします。 | |
| 次回の執筆者は白沢かおりです | |
| 前回「感性」を受けて | |
| 第37回 危機意識 |
執筆者 鈴木宣仁 |
|
僕のところでリレーを長々と止めてしまい、すいませんでした。さて、お題は感性ですか。難しいですね。例えば「長嶋茂雄日本代表監督は、感性で野球をするタイプだ」とか「shinjo選手(プロ野球日本ハム)は感性の人だね」というような言われ方をされることがあります。真偽の程はともかく、おそらくその
創造性に富んだ発言や行動からそう言われるのでしょう。そのような印象のためか、感性がほめられるような人に対しては「理論や常識にとらわれない天才肌で、やや大胆な性格の人」という先入観があったかもしれません。
ただ、ちょっと考えてみますと、必ずしもそうではないですよね。感性で動けるということは、大胆さよりむしろ、その過程で何かを感じる『繊細さ』があるということですから。繊細さ――僕には縁の遠い言葉ですね(苦笑)。でも先日新聞を読んでいたら、「スポーツを見ることで養う感性の重要さ」について書かれている文章がありました。確かに僕もこのサークルでスポーツを見ていると、ワンシーン、ワンプレーに一喜一憂します。感性が大いに刺激されているのでしょうかね。興奮した状態で記事を書いてしまうことすらあります。そのときは自分が感じたものを少しでも、文章にできたらという気持ちです。それが空回りしているかどうかは別として、そういうことを実現してみたいですね。そして読む人の感性に訴えるような文章を書く――これは僕のひとつの目標でもあります。でもこれが難しいんですよ。「慣性の法則」ならぬ「感性の法則」があれば簡単ですけど、そんなのないですから。 僕のひとつの目標でもあります――なんて言っても、このサークルももうあと何ヵ月かで引退です。“目標”なんて悠長なことではいつまでたっても実現できないかもしれませんね。危機意識を持たなくては!そういえば、最近、僕の母校のボート部が試合に勝ったそうなんです。ライバル校との定期戦なのですが、なんと僕の高校時代からずっと連敗続き。今年後輩たちが勝ったことは一obとして嬉しいのと同時に、ものすごく刺激になります。自分たちができなかったことを彼らは達成したわけですからね。“僕も負けていられないぞ”という危機意識は当然芽生えますよ。せっかくこのような発奮材料もあることですし、逆に彼らを刺激するようなちょっとかっこいい先輩を目指してみようかなと思います‥‥なんちゃって。 では、次のお題は『危機意識』にします。「スモールアイランド」こと小島伸一郎くん、頼んだ! | |
| 次回の執筆者は小島伸一郎です | |
| 前回「カベ」を受けて | |
| 第36回 感性 |
執筆者 長嶋航平 |
|
「壁」。それは目の前に立ちはだかる困難。誰もが一度や二度はぶつかるものです。でも自分はこれまでの人生で壁にぶつかったことはないです。正確に言うと壁にぶつかったと感じたことがないんです。過去を振り返ってみても、大きな壁にぶつかったというときを思い出せません。たぶんぶつかっているんでしょう。でもわかりません。いいことなのか悪いことなのか。その代わり、これといってよかったこともないです。正直に言ってこれまでの人生は幸せだったと思いますけど、何かでっかい出来事は起こったことはないですね。「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。幸福の後には不幸が待っていて、不幸の後には幸福が待っているということですけど、自分の場合は特別な不幸がないから特別な幸福もないって感じです。やっぱりその辺はうまくバランスが取れているんだなぁと感心するわけで。 結構自分はバランスがいい方だと思います。野球をやっていたときは全ポジションを守りました。バスケでも苦手なプレーとかはなかったです。勉強でも突出してできる教科とできない教科があるわけじゃなく、全教科まんべんなく点数を取っていました。食べ物も特に嫌いなものはなくて、嫌いな人間とかもいないです。要は、なんにしても特に苦手なものはないんですよ。でも一方で、これは大好きだといえるものはあります。それがスポーツと音楽。スポーツはどの競技も好きです。またここでもまんべんなく好きなんですよね。スポーツというものが好きというわけで、ほとんど見るだけですけど、もちろんプレーするのも大好きです。むしろプレーしたほうが楽しいですよね。そして音楽。好きなアーティストは?って突っ込まれると、その時々で好きなアーティストが変わるんで困るんですけど、音楽好きです。ただ音楽に関してはだいぶ選り好みがありますけど。この二つに何か共通するものがあるのかなぁと考えると、たぶんないです。でもそんなもんですよね。なんでラグビーが好きなの?ってきかれても、なんでoasisが好きなの?ってきかれても、好きだからと答えるしかないわけで。一応それなりの理由はあって、答えることは可能なんだけど、でもそこはあえて言いたくない。そこで理屈っぽくなると本当に好きなのかなって自分が好きなことに疑問を持っちゃうんで、感性を信じてそのままにしておこうという気になります。 というわけで感性はずっと大切にしていきたいと思います。次回は一番センスのある男・鈴木宣仁くんに「感性」でお願いしたいと思います。 | |
| 次回の執筆者は鈴木宣仁です | |
| 前回「出逢い」を受けて | |
| 第35回 カベ |
執筆者 増田理奈 |
| その日1日を過ごせば、必ず何らかの出逢いがある。いつもの仲間や道端ですれ違う人、満員電車に乗り合わせた人との出逢い。人とだけではない。人以外のモノとの出逢いもまた出逢い。 モノでも、目に見えないモノとの出逢いだってあるだろう。ひょっとしてそっちのほうが多いのではないか、と考えることもある。そうやって考えるときりがないくらいなのだけど。いずれにしても、出逢いは楽しみである。しかし、中には自分を憂鬱にさせる出逢いもある。それは「カベ」だ。 ここでいうカベというのは、人生を1つの道に例えると、自分がこれから行こうとする道を阻んでいるもののことだ。人によって形は異なるだろうけど、誰でも出逢うことがあるはずだと思う。私は、カベと出逢っても、気づかなかったり、見過ごしてしまったりする。しかし最初は気づかなくとも、そのうちそこに何らかのカベが立ちはだかっていることに気づく。だが、カベを越えるのが面倒であったり、無理だろうと感じてしまったりすると、知らなかったことにしてカベを避けて別の道から行くことを試みる。カベを越えるのは勇気がいることだ。 カベは目に見えない。だからどうしたらそのカベを崩すことができるのかは、遠目で探ろうとしても駄目だろう。実際にそのカベとあたって、向き合ってみないと、わからないのではないか。私はこれまで幾つのカベを避けてきたのか数知れない。しかし、そうしたカベと向き合う時は遅かれ早かれ必ず来ると思う。カベと向き合うのは大変だ。けれど、1つ1つ崩していくしかない。ちょっとずつ、スモールステップで。カベを1つ崩すごとに、今まで見えなかった何かが見えてくるだろう。 私は、身の周りのことに対して、楽観的に考えてしまう傾向がある。カベに向き合っているつもりでも、いつの間にか「何とかなる」と済ませてしまう自分がいる。でもそう思ったほうが気が落ち着くし、何とかすればそれでいいか。私はスモールステップでいこう。そして様々なカベとの出逢いを少しずつ自分の経験値にして大人になろうと思う。「自分はこれだ」というのを掲げながら。 ではミスター長嶋くん、「カベ」について語ってください。カタカナばかりですいません。お願いします。 | |
| 次回の執筆者は長嶋航平です | |
| 前回「後悔」を受けて | |
| 第34回 出逢い |
執筆者 清水建夫 |
| 後悔で回ってきたのはいいのだけど、すっかり言いたいことは言われてしまいました。とにかく後悔なんてしないに越した事はありません。大切なのは、今です。 さて、今は10月。いつの間にか夏も終わり、風の中にキンモクセイが香る季節になりました。トイレの芳香剤なんていう不名誉なイメージもあるみたいだけど、あの優しい香りがすると僕は毎年秋が来たなぁって思います。 秋といったら食欲の秋。松茸、秋刀魚、ナスと旬の食材がもう店頭に並んでいますね。突然ですが僕は、「幸せは食にあり」と思っています。だって、美味しいものを食べているときって、無条件に幸せじゃないですか?一緒に食べる相手やシチュエーション、見た目といった要素も関係してくるけど、うまいものが不味く感じることって滅多にありません。うまい!って最後に判断するのは自分の舌だから。そして食べることというのは出逢いでもあると思います。新しい味を求めて知らない店に入ったり、遠い昔の思い出の味を懐かしんだり、大好きなものを繰り返し味わったり。一度ハマッた味はなかなか忘れません。人の縁と似ていませんか? だからこそ、日常が惰性になるのは悲しいことだと思います。忙しい毎日だけど、当たり前のことこそ、わかった気になったりやっつけ仕事にしないでよく考えないと。それこそ"後悔"してしまう。「1日3食、3度の出逢い」。そして1日の中で3回も幸せになれるって考えることができたら、忙しい毎日も、ちょっとだけ楽しくなるような気がします。 さて、次のお題は「出逢い」。2年生の中で20歳に一番遠い、ルーシーこと増田さんにバトンタッチ。 | |
| 次回の執筆者は増田理奈です | |
| 前回「選択」を受けて | |
| 第33回 後悔 |
執筆者 風間俊樹 |
| 私にとっての20歳の誕生日を迎える8月が過ぎ、はや9月。このエッセイを書いている今、暦の上では秋で、朝晩は涼しくなったけれど、昼間の暑さは夏と大して変わらない。むしろ今年は、8月より9月の方が暑いとさえ感じるほどだ。この気温が不安定な季節に、私はいつも誤った選択をしてしまっている。朝が寒いからといって秋服を着ていくと、汗がダラダラ。昼が暑かったからといって夜にtシャツ1枚で寝ると、鼻水がズルズル。清清しい朝だからといってめったにしないランニングをすると、筋肉がピクピク。結局は、違う選択をすればよかったと後悔している。日常の生活の中で直面する選択の場面は、数知れない。しかし、誤った選択をすると、後悔しか残らない。誇張した表現かもしれないが、人はいつも後悔と背中合わせなのではないだろうか。 後悔。この言葉には暗いイメージを抱く人が多いが、決してそうではないとも思う。例えば、スポーツの試合で負けた際に味わう後悔。このときの後悔は、長い時を経て『雪辱』や『逆転』へ変えてゆくことができる。いつかの犯してしまった失敗をバネに、それを乗り越えようと長い間奮闘し、最後には満足のゆく結果、または勝利をつかむのだ。このような、後悔を雪辱や逆転へと変えてゆく間はきっと、いつか味わった後悔に支えられることができると思う。だから、どんな困難でも乗り越えられる。 しかし、日常の生活の中で生まれる後悔となると、そうはいかない。長い時を経てしまうと、この後悔は『うじうじ』や『くよくよ』へと変わってしまう。失敗を乗り越えようと過去を振り返るあまり、いつか味わった後悔に引きずられたままになってしまうのだ。後悔を味わって、解決策を見つけようと後悔を振り返る。そして解決策を試みて、後悔を味わう前の自分と今の自分を比べてみる。しかしそこには美化された過去の自分がいて、その自分を越えていないことを知る。そして、再び後悔を振り返る。この螺旋にはまってしまうと、なかなか出口が見つからない。この場合の後悔とは、とても厄介なものだ。 実際に私もことあるごとに後悔を引きずっていて、いつも後ろを向いていたと思う。しかし、後ろの世界は今までに私が歩んできた世界であって、結局は何も得ることは無かった。そして、最後にひねり出した答えは、前を向いてみよう、ということ。すると、色々なものがそこにはあった。なんか怒られたりけんかしたりする機会も増えたけど、新しいものがたくさん見つかる。そんな今は、とても充実していて楽しいと感じている。この気持ちをよく表している歌を、10代最後の日に見つけた。その歌の歌詞は、『足踏みせずに 言い訳もせずに 胸に抱き続けている/遥かな光まで 一歩ずつ/昨日の僕を 繰り返すだけの 明日にならぬように/少しでも踏み出してことを 誓いながら/部屋まで歩きながら 帰ろう/明日へ歩きながら 帰ろう』。いつまでも過去のことを見つめ直していても、新しいものは見つからない。時には困難にぶつかるかもしれないけれど、時には誰かを傷つけてしまうかもしれないけれど、これからは新しい何かがある未来を見つめてゆきます。そして、ただ優しいだけではなく、強くて、思いやりのあると言われるような男になります。 以上、これから始まる20代の私の抱負でした。次は、2年生男子の中で一番若い清水健夫君でお願いします。言いたいことを言ってください。テーマは『安全』…じゃなかった、『後悔』で。 | |
| 次回の執筆者は清水健夫です | |
| 前回「想像力」を受けて | |
| 第32回 選択 |
執筆者 鈴木昌恵 |
| 最近、一番心に残っている小説に「もし、あの時ああしてたらって、自分のもうひとつの人生を勝手に想像して、それに嫉妬してしまう〜」(唯川恵『永遠の途中』)という一説がある。よく私もこんな風に考えては後悔ばかりしていた。想像力、時に余計なものかもしれない。想像できなかったら、現実に満足できるかもしれないのに。けれど、想像力とは信じる力。信じる力は、時に人を大きく動かす。 昨年から、ワセダのスポーツを見ていて、負けた姿はあまり見たことがない。だからかもしれないが、ワセダが負ける姿は想像できない。試合前はもちろん、どんなに劣勢でも最後まで勝つと信じている自分にはっとしたことがある。私はこんなに信じる力があったのかなと。そんな時、「いいじゃん私くらい信じたって」と強気になって釧路まで行ってしまった訳だが・・・。信じて動き出したから、見えてきたものがたくさんあった。バカみたいだけど、生半可に信じるよりも百倍いい。そうやって他人のことばかり強気で信じているうちにだんだん自分のことも少しづつだけど信じられるようになった気がする。それは今までの後悔とか反省が消えていったわけではなく、今自分が決めたことを信じるということ。いろんな場面での自分の判断。多くの選択肢がころがっている。こたえは一つじゃないし、わからないから、それを自分で信じるしかない。 日々の生活のなかで、煩わしいことは多い。だけど、明日のことを考えるとわくわくする。「明日はいいことがあるはず」と脳天気なことを考えたりもする。そして、私はよく目標を立てている。小さなものから、無理なもの、ただの憧れも、色々ある。たいていは目標ばかりが先行するのだが、それでも譲れないことや、大事な想いもある。そういう目標こそただ脳天気に信じているだけではだめで、叶えるには努力や体力や我慢が必要だ。それに叶えたい時こそ、自信がなくて不安になることも多い。それでも、始めの一歩は信じてみること。信じることは勇気が必要だけど、自分くらい自分を信じてあげていいと思う。 さて、夏といえば花火。打ち上がってもすぐに消えてしまって寂しい気もしますね。夏は何度もやって来るけれど、今夏、大事な節目を迎えるのは私だけじゃないはず。次はその一人であるで風間ちゃん、「選択」お願いします。 | |
| 次回の執筆者は風間俊樹です | |
| 前回「自分の理想とする生き方」を受けて | |
| 第31回 想像力 |
執筆者 高野健太郎 |
| 「自分の理想とする生き方」。う〜ん、難しいですね。日ごろからそんなこと考えてもいませんでした。でも、いい機会なのでここで考えてみたいと思います。自分ってどうなりたいんだろう。 さて、いろいろ考えて思ったことは感性を持った生き方。僕は感性とは感じる心と捉えています。要はあらゆることに素直に感動できる生き方がしたいです。感動とは共感であり、そこには想像力の豊かさが不可欠です。抽象論になりますが、人が感動するのはそれがただすごいとか美しいとかで感動するのではなく、それができるまでの背景を想像し、頭に描いて感動するのだと思います。例えば、早スポを例に挙げて見ましょう。僕は新聞それ自体をみてこのレイアウトはすばらしい!と感動することはあまりありません。でも、この新聞ができるには、早スポ部員みんなの努力が、ドラマが詰まっています。そうしたものを考えると、ただ一号の新聞を見るだけでも胸が熱くなります。「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」。こうした表面的には見えない部分を感じ取る感性を持っていれば、あらゆることに対して寛容に、あるいは感謝して生きていけると思います。そうした生き方が自分にとっての理想の生き方のひとつであり、大切なことだと思います。 もうひとつあげるとすれば自信を持って生きていきたいですね。自信を得るためにはやはり努力が不可欠でしょう。何事に対しても頑張る、そう!頑張っていきたいと切に思います。突然ですがうちの近くには公園があり、その公園には蛙がたくさんいます。今の梅雨どきは帰り道でよく遭遇します。ふと気づいたんですが、蛙っていつも上を向いていますよね。胸を張って。彼らが堂々としているのは、おたまじゃくしのときから幾多の試練を超えて蛙に、立派になったという 自信があるんだと思います。何言ってんだかよくわかんないけど、蛙に負けないように頑張りたいと思う今日この頃です。 さてさて、次回ですが自分自身、そして現代人に不足しがちと僕が勝手に考えている「想像力」について、まさえちゃんお願いします。 | |
| 次回の執筆者は鈴木昌恵です | |
| 前回「現実と理想のギャップ」を受けて | |
| 第30回 自分の理想とする生き方 |
執筆者 穐田はるか |
| では私にエッセイが回ってきたので語りましょう。 私に与えられたテーマは「理想と現実のギャップ」。おそらく大多数の人が感じているだろう。少なくとも私は大学生活を始めてから理想と現実のギャップについて真剣に悩んだ。 なぜ私が大学生活から悩み始めたかというと歳をとったからである。歳といってもまだ21歳だが、小学生や中学生の時のように将来の夢はと聞かれてこうなりたいといえなくなってしまった。現実を知ってしまったからである。小さい頃から夢にあふれその為に努力してきたが、夢は所詮空想論に過ぎないと冷めてしまい情熱的な生き方が性にあっていたのにつまらない理屈を述べるだけの女になってしまった。 そんな時私にある人が教えてくれた。現実に敵意を示さないで、現実と素直に向き合って受け入れてみればと。現実を変える可能性にかけることも勇気だけど、変えられない事を受け入れることも勇気だって。つまり私はギャップという言葉に負けていたのだ。夢をおうことと現実を受け入れることは対照的にみえて実は全く別のものである。現実を受け入れることはかなりのエネルギーを費やした。しかし今それが財産となって蓄積されているのが分かる。 今の私の理想はバラ色の人生を送ること。好きな人と共に歩み、好きな仕事をし、暖かい家庭を築き、女として妻として母としてまっとうすること。人からみれば無謀かもしれないが、こんな風になりたいと考えながら生活すると嬉しいことはさらに嬉しく、楽しいことはさらに楽しく感じられるようになった。もし現実なんてと考えている人がいるなら一度深呼吸して現実から逃げないで欲しい。勇気をもって。現実も悪くないと思える日がくるから。 ということで理想と現実が一体化するように日々努力です。そこで高野君には「自分の理想とする生き方」について語ってもらいましょう。 | |
| 次回の執筆者は高野健太郎です | |
| 前回「闘争心」を受けて | |
| 第29回 現実と理想のギャップ |
執筆者 滑川善隆 |
| 闘争心、気持ちを全面に押し出す、いうのが一般的なイメージだろうか。ちょうど、西武ライオンズの石井貴や日本ハムファイターズの岩本勉のピッチングには闘争心という言葉かよく当てはまると思う。マウンド上での雄叫びやガッツポーズは見るものを魅了するし、自分にとってもプラスの効果がある。「気持ちで乗り切る」よく聞く言葉だが、これこそまさに闘争心あってのものであり、気持ちを込めることによって自分の持てる力以上のものを引き出すのだろう。 しかし、普段自分はそのように気持ちを押し出すということはあまりしないようにしている。人にはその人だけの信念や正義がある。それと同じように、自分には自分が理想として思い描く「強さ」があるのだ。そして、気持ちを全面に押し出す、闘争心は己の「強さ」とは相反するものである。 さきほども述べたが、人は気持ちを込めることで、自分の力以上のものを引き出すのだと思う。しかし、それは逆に言えば己の力だけだはその場を乗り切れないことを意味するのではないだろうか、という考えが自分にはある。どんなときでも冷静に顔色一つ変えずにものごとに対処する。自分にとって「静」こそが「強さ」の重要な概念の一つなのだ。大リーガーの野茂英雄やイチロー、セリエaパルマの中田英寿のような人物像が自分が理想とする「強さ」をよく表している。どんなすごいことをやってみせても「これくらい普通だよ」と言わんばかりの態度とあのポーカーフェイスにじぶんは「これが強さなのだな」と感じずにはいられない。 では、それを手にするために何をすればいいのか、正直よく分かっていないのが現実である。しかし、この疑問に対する明確な答えはないだろう。自分の信じることをやること唯一のことだ。それでも、そのようなことをしたときに自分は充実しているとは思わないし、満足することもない。充実・満足という言葉は聞こえこそいいが、ある時点で充実・満足していると自分に納得してしまっては、それより上へいくことはできない。そこで人を止めてしまうと思う。だから、自分は常に「自分に勝つ」という気持ちを持ち、何事にも納得することなくさらなる向上を目指している。 と、いろいろ語ってきたが今の自分とは随分違うことばかりのような気がする。しかも結論も前回とほぼ同じような・・・まあ、自分の考えてりることなのだからそれはそれでよしとするか。それでは次回は「現実と理想のギャップ」について穐田さんに語ってもらおう。 | |
| 次回の執筆者は穐田はるかです | |
| 前回「バランス」を受けて | |
| 第28回 闘争心 |
執筆者 佐藤香苗 |
| バランスなんて何ひとつ保ててない私がどうしてバランスについて語れるんだろうか。身長と体重、収入と支出、どれもこれもアンバランス。 そういえば中学、高校でやっていた器械体操でもy字バランスとか水平バランスとかよくやっていた。でも大の苦手だった。よく「軸がしっかり通ってない」と怒られた。そうそう、軸が通ってないとフラフラしてうまくできないんです。バランスでもターンでもなんでも。 器械体操をやめてもう2年半くらい経つ。今、私は体操ではない、あるひとつのことを日々の支えにして生きている。私はそのひとつのことからすべての+に向かう気持ちをもらっている。それについて考えるといろんなことをがんばれるし、すんごいへこんでても元気になれる。だって、キラキラしてるから。 あのキラキラはなんだ?神か?とにかく、現在の私の生活はキラキラしたそれを中心に回っている。つまり私の軸となっている。軸が通ったからそう簡単にフラついたりしない。かなりいい感じだ。これからもずっと私を動かし続けるでしょう。どんな遠心力で振り回されてもついてく自信あり。 毎日がこんな感じでキラキラのことを考えながら過ぎていき、もう1年が経った。はやかった。この先もきっとまたあっと言う間なんだろう。キラキラ大好き、でも負けないように私もキラキラしなきゃ。がんばっていかなきゃ。 がんばるのってめんどくさい。私めんどくさいこと大嫌いなんですよ。けどがんばんないのはつまんない。けどめんどくさい。よくわかりません。とりあえず、いたって普通だけど、常に上を目指していこうと思います。負けたくないという気持ちを忘れずにいきます。闘争心はいつでも持って生きていきたいもんです。キラキラ!! では次は「闘争心」でなめちゃんお願いします。 | |
| 次回の執筆者は滑川善隆です | |
| 前回「恋愛」を受けて | |
| 第27回 バランス |
執筆者 吉津卓保 |
| 「恋愛とは、恋と愛が絶妙のバランスで成り立っているものである」 …いきなり悟ったようなことを言ってしまったが、自身が恋愛というものからもう2年近くも遠ざかっている身なので、かなりうさんくさい。つーか、そもそも恋愛なんてよくわからん。困る。まぁでも、せっかくだからちょっと真剣に恋愛ってどんなものか考えてみた。色々考えてみたが、結局その結論として冒頭の言葉に終着した。 僕が思うに、恋愛には文字通り「恋」の側面と「愛」の側面がある。どちらも一言で表してしまえば、前者が刺激で後者が安心感といったところだろうか。一般的に、恋愛は「恋」から始まるものである。なぜなら、相手から鋭い刺激を受けることにより、初めて自分の感情が目覚めるからだ。その刺激にはいろんな種類があるが、最もわかりやすい例は一目惚れ。見た目という刺激にやられるわけだ。別に変じゃない。すごく自然な感情。ただ、ここで注意しないといけないのはこの時点ではあくまで「恋」であって、恋愛ではないということだ。 では、恋愛のもう一つの要素である「愛」についてはどうだろう。僕はそれを言い換えれば安心感であると言ったが、それはすなわち信頼でもある。「愛」が生まれるにはどうしても時間が必要だ。なぜなら、信頼というものは、互いに深いところまで知りつくしていないと存在しえないからだ。一緒にいる中で、良い所も悪い所も知って、認めて、補って初めて信頼というものは生まれる。野球のバッテリーがよく夫婦に例えられるのは、信頼の築き方が夫婦のそれと似ているからではないか。その意味でバッテリー感にも「愛」がある。だから、僕が思うに「愛」に男女の垣根はない。 「恋」と「愛」。こうやって紐解いてみると、実は両者は相反するものであることがわかる。一方は例え1秒でも生まれるが、一方は例え何年かかっても生まれることがないこともある。恋愛とは、その相反する2つの要素が絶妙のバランスで成り立っている時に初めて生まれるものだ。これがどちらかに偏り始めたとき、それは終わる。とても壊れやすいものだ。それゆえに、それを気付きあげている二人をみると本気ですごいと思う。今の僕からすれば、奇跡のようにさえ思える。 話は飛ぶが、僕は生きる上で最も重要なものは、ものごとのバランスだと考えている。今回はこうやって恋愛を例に「恋」と「愛」のバランスについて考えてみたが、恋愛だけではなく、ものごとのバランスが崩れるとき、何事もうまくいかないように思う。 …しまった。恋愛に文字を使いすぎて肝心のバランスについて全然語れなくなってしまった(笑)そしたらそろそろ新歓の時期でもあるし、早スポの人科率をあげる意味も込めて、後は代わりに香苗に語ってもらおうかな。そんじゃぁ、よろしく! | |
| 次回の執筆者は佐藤香苗です | |
| 前回「憧れ」を受けて | |
| 第26回 恋愛 |
執筆者 永井佐和子 |
| 『憧れ』ですかぁ・・・・。難しいですね。では今回は、普段早スポでは書くことの無いだろう「恋愛」について書くことにします。 誰でも中学に入学すると、憧れの先輩ができますよね。女の子はもちろん、男の子だって綺麗な2、3年生に憧れると思います。校内でその先輩を見ただけで友達と大はしゃぎしたり、先輩の部活姿を見に行ったことはありませんか?何ででしょうね。小学校までは全然興味が無かったのに、中学生になっていきなりみんなして先輩に憧れ始めるのは。 『憧れ』って、恋愛の第一歩だと思うんです。 思春期に先輩に憧れを抱くのは、先輩=自分より年上の人=人生経験が長い=知識・経験が豊富 だからですよね。でも、告白がうまくいって付き合い始めたとたん、「こんなはずじゃなかったのに・・・。」なんてことありません?先輩のこと好きだったはずなのに、知れば知るほど嫌いになっていく。これはきっと、その人の嫌な部分、もっと言えば「暗」の部分が見えてしまったからではないでしょうか。恋愛したての中学生は、相手のいい所だけを好きになります。例えば、容姿がカッコイイとか、スポーツ万能!とか。だから、付き合ってその人の嫌な所が見えると、嫌いになってしまうんですよね。 でも、人を好きになるってその人のいい所ばかりじゃなくて、悪い所も含めて好きになることだと私は思うんです。「明」ばかりじゃなくて「暗」も。ってこと。ところが、それはとても難しい。なぜならそれは、その人のすべてを受け止めることと同じ事だから。そういう恋ってすごく素敵だと思いませんか?もちろん、悪い所は直すにこしたことはありません。時にはそれを注意してあげることも、大切なことだと思います。だって、自分の好きになった人にはどんどん素敵ななってもらいたいから。でも、好きな人の悪い癖とか、妙に人間らしい、ずるい所も好きになれたら、それは本当の恋愛ではないでしょうか。本当だなんて言いすぎかも知れないけど、私は今、そんな恋愛に憧れています。 恋愛は人を大きくさせる。なぜって、恋愛は自分を見つめなおすきっかけにもなるから。相手のことも気になるけど、相手に見られてる自分のことも気になってしまう。それが恋愛だと思います。 では、次のお題は「恋愛」についてにしましょう。前々から「恋愛」について語ってほしいと思っていたんです。 吉津くんおねがいします。 | |
| 次回の執筆者は、吉津卓保です | |
| 前回「大感謝」を受けて | |
| 第25回 憧れ |
執筆者 茂野聡士 |
| 大感謝っすか…相当な感謝じゃないと許してくれなさそうですね(苦笑)さてさて、「マイペースで生きていくことが一番」と考えている自分でも、様々な人にお世話になっています。それは、家族であり、中学時代の友人であり、そして早スポでの先輩達であり…。その中でも特に、自分にとっての「大感謝」な人がいます。それは、中学、高校時代に通った塾の先生です。 その先生は現代文の教師で、いつも面白い話をしてくれる人でした。また、静岡県出身ということもあって、とにかくサッカーを愛している人でした。部はおろか、学校にも所属してないのに、静岡学園サッカー部の練習方法をこと細かに語って授業を30分も長引かせたり、特別講座でサッカー講座を開いたり…サッカーに興味のない人がいたらかわいそうだなと、サッカー好きの自分がそう考えるくらいでした。でも、やっぱり自分もしゃべりたくて、授業が終わって日付けが変わるくらいまで先生のサッカー話をしていましたが。 そんな先生が中学時代に毎週出していた課題、それは「400字レポート」でした。身の回りのことなら何を書いてもいいというもので、自分は迷わずサッカーのことを書き続けました。先生の熱いコメントを見るのが何よりの楽しみでした。そのレポートやサッカー話を覚えていた先生が、「大学に入って何かものを書くことに挑戦して、自分を出してみなよ」と言われました。その言葉は、自分にとって早スポでの活動の原点といっても過言ではありません。それくらい、自分の人生に影響を与え、今でも「憧れ」の人です。 この先生のほかにも、自分は幼少の頃から「憧れ」やすい人間でした。憧れの人たちは全員何かしら人間的な魅力があり、自分の何パーセントかを形どっています。そんな人たちに共通したもの、それは素晴らしい情熱でした。ちょっとクサいかもしれないけど、やっぱり情熱を感じる人は光ってる。そんなかっこよさに「憧れ」を抱いたんだと思います。果たして、それが自分にできるのだろうか?生意気ながら。 もちろん自分自身が「憧れられる」ことは難しいとは思います。でも、たとえそれがひとりであっても、少しでも影響を与えられるくらいの情熱を見せられる人に、僕はなりたい。それが、サッカーでなくても、どんな小さなことでもいいから。そう考える今日この頃です。 というわけで、次はそんな同じ先生に習った永井ちゃんに書いてもらいましょう。テーマは「憧れ」で。 | |
| 次回の執筆者は、永井佐和子です | |
| これ以前のリレーエッセイは、こちらです→ |