|
|



甲子園制覇とその軌跡

特別インタビュー第2回は早実入学後から甲子園制覇までの軌跡を追う。昨夏の甲子園では全試合に登板し、早実を悲願の全国制覇に導いた斎藤佑樹(教1)。その端麗な顔つきと豪快な投球で、社会現象を巻き起こしたことは周知のとおりだ。そんな斎藤佑の高校生活はどんなものだったのだろうか。
―早実に入ったきっかけは
まあ早実は文武両道で、甲子園も狙える位置にある高校だった、っていうのが
一番の理由です。
―和泉監督はどんな人ですか
なんていうんですかね。すごく面倒見がいいなと、いうのは感じますよね。ほんとに親身になって指導してくれました。
―早実に入学してぶつかったカベは何でしたか
やっぱり最初は群馬から通っていて、勉強と野球の両立はたいへんだったかな、という感じはしました。そこで兄と二人暮らしになってから、まただんだん辛くなってきた、というのはありますね。
―群馬からとは、大変でしたね。
特急で通ってましたね。
―それでも2年夏にはエースとして投げた(西東京大会ベスト4)
日大三高との試合は、今振り返ると、すごい大きかった試合です。
―自分を成長させた試合ですか
そうですね。やはり一番は昨夏の甲子園の決勝、駒大苫小牧戦ですね。本当に良い経験が出来たと思います。
―正直、優勝する自信はありましたか
いや、正直思ってなかったです。
―優勝の要因はなんでしたか
あまり深く考えすぎなかったことじゃないですか。周りは注目してましたが、そこまで気にするようなことはなかったです。
―マイペースですね
そうですね。
―冷静な投球スタイルは昔から
いえ、中学時代は覚えてないんですけど、高校に入ってからですかね。
―それも和泉監督の教えなんですか
そうですね。それはあります。
―コーチの江口さんの影響もありますか
ピッチングの面ではあまりなかったんですけど、それ以外ではお世話になりました。
甲子園制覇の要因は、冷静なマウンドさばきにあった。その投球スタイルを確立させるきっかけが、2年生夏の西東京大会だ。斎藤佑はエースとして優勝常連校の日大三高と対戦し、コールド負けを喫した。どん底に突き落とされた斎藤佑は、打倒日大三高を胸に進化を遂げ、その年の秋の大会でリベンジを果たした。その過程で生まれたのが、斎藤佑の最大の武器である「冷静さ」だった。この武器をひっさげて、斎藤佑は翌春のセンバツ大会でベスト8、夏の大会で優勝を果たす。そして大学野球でも早大の快進撃を支えている
。次回は、大学野球の水に徐々に慣れてゆく斎藤佑を追う。
(取材・編集 堀和彦、山田豊)
【第3回は大学野球部について掲載します】

|

| 
|