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十六人の志士に訊く・三浦純主務
三浦純主務インタビュー
「佑ちゃんフィーバー」から、33年ぶりの日本一まで。三浦純主務(スポ4)は早大野球部の活躍の裏で野球部を支えている。主務とは、いわゆるチーフマネジャーのことで主に渉外、広報、連盟の運営、選手や監督への連絡…など挙げればきりがないほどの任務をこなし、試合ではベンチに入りスコア付けや声出しでチームの勝利のためにベストを尽くす。14回目の「十六人の志士に訊く」は例年にないほどの注目を集めるなかで、主務という陰の大役をこなす三浦主務にスポットを当ててみたい。
―まずはマネジャ−になった経緯を教えていただけますか
(※注 早大野球部ではマネジャーとしての部員募集は行っておらず、原則として1年の冬にプレーヤーとして入部した部員の同士で話し合い、各学年の中から1人のマネジャーを選出する。マネジャーとして選出されたものはプレーヤーを断念し、マネジャーに専念することになる。)
うちの代はまずマネジャーが別にいたんです。そしたら辞めてしまって……。2年の夏だったのですが、その時点で野球を辞めるつもりのやつがいなくて、そうしたら「選ばなくてもいいでしょ」という雰囲気になってしまって。外からマネジャーを取ろうかという話になりました。それは自分たちがマネジャーに対する考え方を全然理解していなくて、周りから「最低の学年」といわれ始めました。だからといって(マネジャーを)決める気にはなれなくて……。きっかけとなったのはそのとき当時のコーチの関井(徹=平17人卒)さんに集められて、何で決めるかということの話をし始めてそのとき言われたのは責任に対しての話。「頭から野球を辞めるからこそ責任が生じる。そこで選んだほうは、野球を辞めてもらうわけだから中途半端な気持ちではやってほしいとはいえないし、(マネジャーを)やったほうもそういう気持ちの上で成り立っているポジションだから、選手のためにやらなくてはいけない。逆にそれを外部から募れば選手をやっていないマネジャーと選手との間に責任関係はできないし、それでもいいのか?」という話をされました。そういう考え方を自分らはしたことがなかったので、そのときから本格的に話を始めました。その中で候補の一人になって段々やってほしいといわれるようになった。それでも自分には「野球をやりたい」という気持ちがありましたし、決まらなかった。なので自分が選ばれたときに自分がやるという覚悟のあるやつだけが話し合いに参加することになって、結局全員が参加して自分が選ばれた。そのときは、自分が考えた気持ちに関して「野球をやりたい」という気持ちはまだあるという話をした上でこの仲間だったら野球を辞めてマネジャ−をやろうと。仲間から気持ちが伝わったし、自分も周りも自分のことを考えて悩んだ上で覚悟が決まった。そういう気持ちを考えると(マネジャーをやることが)重みのあるものにもなりましたね。
―最初に戸惑いはありましたか
元々はうちの野球部はマネジャーを志望しているわけではないので、マネジャーが何をしているのかわからないんです。やってから覚えることになる。最初は話し方だとか、社会的マナーとかがまったくわからない状態でした。一番にはそういうところを感じましたね。
―ここ2年間の主務さんは宮田(隼吾=平18一文卒)さんや前橋(優太=平19社卒)さんの早実高の先輩が務められておりましたが
特にどうこうは思わなかったです。
―上から教えられることはない
基本的には自分で覚えますが、前橋さんからはマネジャーの厳しさを教えてもらいました。
―辛いことは
間に入る立場なのでどっちの気持ちにも100パーセント応えられないことですかね。逆にそこが面白いかなと。辛かったのは去年かなと。今より3年の副務(サブマネジャー)の時の方がですね。自分がやるというよりは言われたことをやる立場になるんですけれど、下が失敗しても怒られるのは自分ですし。
―もちろん遊ぶ時間などはないですよね
ないですね。時間を自分主体で作るのが難しいですね。
―マネジャーのここを選手に知って欲しいとかありますか
何もなければ、マネジャーの仕事がうまくいっているということ。普通にいくために頑張るということ。ミスは目立つけれど、マネジャーの仕事はやって当たり前ということですかね。
―昨年は全国制覇を果たした出身校である早実高の試合はご覧になりました
決勝だけはテレビで見ました。
―やはり感動しました
優勝したときは嬉しかったですが、そのときから少し嫌な予感がして。斎藤(佑樹=教1)の進路発表のときに寮にもの凄い数の電話がかかってきたので覚悟しないとまずいなと思いました。
―そのとき翌年は主務ということでプレッシャーは感じましたか
あまり感じなかったです。前向きにとらえていました。そんなに嫌だという感覚を持たなかったです。ヤバイなとは思いましたけれど。
―例年とは大変さが違うのですか
毎年主務をやっているわけではないので分からないですし、なにを大変とするかはわからないですが、余計な仕事は増えました。マスコミの対応など本来体験できない仕事は増えているので。でも逆に自分は良かったかなと。他にはできない経験ですし。
―年明けの東伏見の練習はもちろん、沖縄キャンプでの報道陣への対応も一人で行っていて、三浦主務のコメントや写真がよくメディアに出ていました
言わざるを得ないコメントですしね。それは表に出すぎているわけで。出ること自体は嫌な気持ちにはならないのですが、マネジャーが出るというのはどうなのかなと……。でも結果的に出ることが出来たのは運がいいことなのかもしれないですね。
―でも楽しいことばかりではないですよね
マスコミの対応が自分の手に負える部分ではなかったときがありました。ものすごい非難を浴びましたね。取材しなかったこととか。やりあえないのは悔しかったですね。それは、向こうが営利目的なるのは仕方ないんですが。そういう時に自分はすごく考えさせられて。あくまでも野球部のマネジャーだからどっちの意見も分かるけれど野球部側に立たないと思いました。
―逆に一番楽しいなと思えたことは
パレードのときですけれど。自分らの代で勝ったことは嬉しかったですね。「最低」とか言われ続けていたので。
―春のオープン戦から見ていて雰囲気はどうでしたか
すごく良かったですね。元々なんとかしてやろうというのがあって……。認められない代だったから。春のシーズン前に監督(応武篤良監督=昭和56教卒)から3勝8敗といわれていて、なんとかしたいという気持ちがキャンプから続いていました。そういう強い気持ちがありましたね。
―毎試合、ベンチに入っていますが
ベンチは大好きなので、そのときが一番ですね。黙れとかいわれますけれど、基本的には声を出しています。そこは譲れない部分ですね。スコア書くのは自分でなくても出来ますし、自分の役割としてはそういう部分もありますし。そこだけは(選手と)同じ気持ちになって、普通のマネジャーにならないというところを意識していますね。
―神宮での主な仕事は
それは連盟の仕事になるんで。六大のホームページに記録を打ち込んだり、審判の方にお茶を出したりと、要は雑務ですね。
―試合前後の早大のバスに毎試合黒山の人だかりができることを見てどう思いました
もう慣れていたので、そこまでは思わなかったですね。でも応援してくれるのは嬉しくて、「細山田(武史=スポ3)おめでとう」みたいなのを見たときは嬉しかったですね。
―パレードはいかがでしたか
やってきて良かったなと思えました。
―全日本大学選手権では優勝、33年ぶりの日本一を達成しました
チーム的には優勝したいと、日本一になりたいなと。でも個人的には(学生マネジャーとして)アメリカにはちょっといきたくないなと(笑)。(※注 全日本大学選手権優勝チームから日米大学野球選手権の学生マネジャーが選出される)日本一になったら休めるかなと思っていたので、そう考えると優勝したくなかったかも(笑)。正直なところはもちろん目標である日本一になりたいなと思っていましたけどね。
―日本一の実感が湧かないという声を選手の方々からよくお聞きしますが
まったく湧かないですね。実感はないですね。
―日米大学選手権での学生マネジャーとして参加しましたが現地では仕事はどんなことを
雑務とスケジュールの管理ですね。連絡役というか。マスコミのやりとりはやらなかったので、選手への指示出しとかですね。
―報道陣も結構来ていたのでは
はい。日本と同じでしたね。でもけっこうなあなあな感じですね。
―アメリカのダーラム、カナポリス(ノースカロライナ州)はどうでしたか
遊ぶところはないですね。でもすごい楽しかったです。
―ということはオフはまったくないですよね
大型の休みが正月からほとんどないです。月曜は練習が休みでしたけれど、なにかしらやることあるので完全オフはないです。
―今のチーム状況をどうみていますか
3連覇に向けてみんな頑張っているので。何とか下につなげたいです。
―渡邉副務(快平=政経3)に仕事を教えたりはしているのですか
全然。上になるとわかるのですが、主務になるとわからないことだらけになる。すると、その中で考えて選択することが重要になるので、その辺で考えてやる力をつけさせたいので、逆に教えないみたいな感じですね。教えなきゃいいところと考えなきゃいけないところとあるので。上になって分かればいいかなと。
―三浦主務にとっても秋がラストシーズンになりますが
やっぱり最後なので、自分自身が成長していければなと思いますね。
(取材・編集 山田豊)
◆三浦 純(みうら・じゅん)
1985年(昭和60年)6月6日生まれのO型。183センチ80キロ。東京・早実高出身。スポーツ科学部4年。主務。
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