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wasedasports.com >  野球 >  十六人の志士に訊く >  第15回・國府潤士学生コーチ


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 十六人の志士に訊く・國府潤士学生コーチ 



 國府潤士学生コーチインタビュー


 國府潤士学生コーチ(教4)は、倉吉北高2年のときに甲子園にも出場し、憧れの宮本賢前主将(平19スポ卒=現プロ野球日本ハム)の後を追い早大野球部の門を叩いた。新人戦では主将を務めた國府は周りからの信頼も厚く、2年の冬に学生コーチに転向する。今年はコーチ背番号「50」を背負い、三塁コーチャーズボックスからチームを鼓舞し、新人戦でも新人監督としてタクトを振るった。「十六人の志士に訊く」の15人目はシーズン前に「3勝8敗」といわれ続けた早大を大学最強チームにまで育て上げた國府学生コーチである。

リーグ優勝を決め田中幸と手を握る  ―学生コーチになった経緯は
 うちのチームの伝統として3年になるときに2年生が1名、新人監督補佐(※注 新人戦は4年の学生コーチが新人監督を、3年の学生コーチが新人監督補佐を務める)になる人物を選ぶんですけども、自分たちも2年の夏くらいから話をして、このチームを将来的にひっぱっていくのは誰が良いかと。チームの先頭に立って指導したりとか、まとめるのは誰が良いかという話になったときに自分が他の選手から推されて。

 自分は当時選手でちょうどメンバーに入れるか入れないかというところにいたので、自分としては選手をこのままやりたいと、やはり早慶戦で神宮に立つ夢があったので選手をやりたいというのがあったんです。けれど、そういう話し合いは難しくて、みんな選手をやりたくてワセダに来てるわけでその中から学生コーチになれっていうのが難しい話で。結構平行線を辿って、どう決めるのか…。

 投票で決めるのか立候補を待つのかって話をしながら2、3ヶ月経って11月になってもうそろそろ4年生が卒業で新チームが動くときにその1名をどうしても出さなきゃいけなかった。どうやって決めるのかって話し合いを詰めていた中で、自分がみんなからの推薦が多くて、投票数も多かったのですごくみんなの期待、信頼を感じたんですよ。それだけみんなに言ってもらったら、自分としても初めから選手をやるという気持ちで学生コーチを拒否するんじゃなくてその仕事についてもっと考えなくちゃいけないなって。そうしないと推薦してもらっているみんなに失礼だなっていう気持ちがあったんで、本気になって考えようと思って。

 今まで自分が1年の時から何名もの学生コーチの方々を見ていても、新人監督、新人監督補佐の方を見ていても、やはり自分がすごく尊敬できる方たちばっかりでした。グラウンドでも存在感があったし、選手への指導にしてもいろんなところでこのチームをまとめている学生コーチの姿を見て、やりがいはあるなと。仕事自体にはすごく魅力は感じたし、どうしようかなってなったときに(選手と学生コーチ)どっちとも自分は一生懸命できるなって思ったし、天秤にかけてどっちがいいって自分が決めるのは無理だなと思っていました。やるならやるで選手のことはスッパリ忘れて学生コーチをやろうと思ったし、選手をやるのであれば、もう自分のできることをまっとうしようと思ったんですけど、結果的に学生コーチを選んだのは、学生コーチ、新人監督っていうのはチームに1人しかいないポジションでメニューを決めたり、監督の横にいてメンバーを決めたりだったり、そういうものをするので主将と同じくらい重要なポジションだなと下級生の頃から感じていたので、そのポジションにみんなから推されることにすごく誇りを持って、自分がワセダの中心でできるのだったらこんなに嬉しいことはないんじゃないかなって思って。

 このままいけばもしかしたらメンバーに入ってレギュラーにもなれたかもしれないし、もしかしたら怪我をしてしまうかもしれないし、下級生に抜かれるかもしれないし。逃げではないんですけど、自分の力を最大限に生かしてワセダが日本一になるためだったら自分がそのポジションに就くことがチームにとってもいいし力も思う存分出し切れるなと思った。そこは選手をあきらめたとかではなく自分が学生コーチをやってやろうとそういう一心で。新人戦でもキャプテンとしてタイムリーとか打って、春負けたメイジに雪辱できたし、選手としてこれでいいんじゃないかなと。

 その時の気持ちはその時しかわからないんですが、これからは学生コーチとしてやっていけるんじゃないかって試合後に思えたんで、新チームになってやっているなかで学生コーチをやっていこうとある程度決断して。で、当時の米山(剛正=平19二文卒)さんに新人監督補佐としてお世話になりますと。

 ―選手と学生コーチとの違いは
 まあやっていることが全然違いますからね。心がけとしては学生といえどもコーチという立場にあるのでそれは絶対忘れちゃいけないなって思うけども、やはりコーチと言えども学生という部分もあるわけで、大人のコーチがいなくて監督1人だけがいるなかで学生コーチにできる仕事は幅広いし、いろんな仕事ができるなって思っているので。うちは140人近くいる中で、140人全員がどんなことをしているか見てなきゃいけないと思ったし、メンバーだけを見てればいいってものでもないですしね。メンバー外とかそういう選手にも気を遣ってきたつもりです。あと野球の技術だけじゃなくて、自分たちが先輩方に教えてもらってきたワセダ魂、ワセダの野球部の伝統っていうものを絶対に崩しちゃいけないなと思ったので、技術的な部分以上に挨拶であったり、返事であったり、グラウンド内での野球に対する姿勢であったりっていうのは自分としてはすごく厳しく見てやってきたつもりです。

 ―今まで一緒に練習して来た仲間に厳しいことを言わなければならない点などで悩むところは
 もともとうちの学年も1年生のときから雑用とかは必ずやってきているわけで、その中でリーダー的な形でやってきているので。話し合う中心にいたのが自分で2年生のときも新人戦のキャプテンやっていましたし、常にみんなに対して話をする立場にあったので、やはりそのスタイルは崩さずにやるべきことを自信持ってやるだけで、特に悩みはなかったですね。

 ―田中幸長主将(スポ4)と学生コーチの役割分担は
 やはりコーチとしての仕事はノックを打ったりとか選手を指導する部分で、主将はチームの顔としてまとめる存在だと思います。自分は主将の仕事をしているわけではないし、新人監督として育成にもすごく力を入れなきゃいけないので、ワセダの伝統とかを大事にしています。特にどこをどうしようという話は幸長としていないし、今までどおりを貫いていくだけですね。

神宮では常に真剣な表情  ―話は変わりますが、どうして早大野球部を選んだのですか
 鳥取県で野球をやっていて(倉吉北高)、2年生のときに甲子園も出たんですが、1回戦で簡単に負けてしまって。夢の舞台だったのに「自分たちの力はこんなものか」と思って。とにかく全国で自分の力を試してみたかったんです。それで早慶戦もあって、当時鳥谷(敬=平16人卒、現プロ野球阪神)さんとか青木(宣親=平16人卒、現プロ野球ヤクルト)さんとか和田(毅=平15人卒、現プロ野球ソフトバンク)さんもいるワセダは日本一の大学だと思って、そこで自分もプレーしたかったと。あと一つ言えるのは宮本さんですね。岡山の関西高と毎年夏に試合をしていたんですが、自分が1年のときに2年の宮本さんを見て、すごいオーラがあって打っても投げても走ってもよしというこんなプレーヤーがいるんだなというのを初めて見てから宮本さんが憧れになりました。その宮本さんがワセダにいたと。で、自分の知人が宮本さんのことをたまたま知っていて、自分は「ワセダ行きたいんよ」って言って宮本さんの番号とアドレスを聞いて宮本さんにメールしました。そしたら「おう、頑張れよ。本当にワセダはいいところで来て絶対に後悔はないから勉強して頑張れよ」と言ってもらったんですごくそこで「やってやろう」という気持ちになりましたね。それで宮本さんが1年の秋に胴上げ投手になるのを寮の食堂で見て、その後にワセダの試験があったんですけどもそれに向けてさらにモチベーションが上がりました。

 ―ワセダ入学後、あらためて宮本さんをみてどうでしたか
 憧れの人だったし尊敬する人だったので緊張してしまって……。宮本さんだけは最後まで普通に話せませんでしたね。他の昨年の4年生とは、学生コーチもやっていましたし、いい意味で言いたいことは言わせてもらっていたんですが、宮本さんだけには何も言えなかったですね。(宮本さんは)口で言うよりも背中で見せるというか、自分の夢や目標に向かっていく姿をずっと見ていたんですが、主将に推薦されてからは行動だけでなく口でもチームを引っ張っていて、もうただすごいなと思ってみていました。学生コーチになるときも宮本さんに相談したんですよ。そしたら「みんながやれと言うからといってやる必要はないし、お前はお前の道を貫けばいいよ」という話をしていただきました。学生コーチをやると決めたときもこれからお世話になりますと伝えたら「自分で選手でやっていく夢を打ち破って学生コーチになることを決断して本当に偉いな。これから日本一に向かって一緒に頑張っていこう」と。その宮本さんのメールは今でも保護してあります(笑)。やはり4年間やってきて宮本さんの存在というのはすごく大きいですね。

 ―宮本さんとの約束、日本一に実際になってみていかがでしたか
 選手が良くやってくれたなというのが第一ですね。あれだけプレッシャー、注目のある中でやるのは大変だなとコーチとしても思っていたんですが、逆にそれを良い緊張感に変えて楽しみながらやっていたなというのは感じましたね。(全日本大学)選手権は初戦に苦しい展開の中で勝って、それで勢いに乗っていけたなというのがありました。

 ―コーチから見たキーマンはいらっしゃいましたか
 キーマンというより一人一人が自分の仕事をしっかりしたなと感じましたし、それを見てやはりこのチームは強いなと思いました。

三塁コーチャーズボックスで戦況をみつめる  ―勝つべくして勝ったと
 慢心ではないですけどやることをやれば負けないなと。自分たちのできることをやろうと自分は言ってきただけなんで。

 ―リーグ戦などでの大一番の前に國府コーチからかける言葉はありますか
 春先からずっと言ってきたことは、「自分のやれることをグラウンドで出すしかない、これまでやってきた力しかないんだからそれ以上は望まずに、やってきたことを信じて今の力を100%出そう」ということですね。ベンチ外の選手もグローブの受け渡しだったりとか、声出しだとか、そういう仕事の部分が何かしらあってワセダのユニフォームを着ているわけだから、グローブ渡しが今の仕事だったらそれをしっかりやりきれと。そういうようなことしか言っていないですね。具体的なデータとかの話も試合ごとにありますけど、試合前にみんなに話すのはそれだけですね。

 ―学生コーチ就任にあたって米山前学生コーチから言われたことなどは
 1年間米山さんの下でやっていたんですが特にああしろこうしろと言われたことはなくて、「お前はお前の思うようにやればいい」ってことですかね。自分で考えろということを教えてもらったんだと思っています。あと米山さんから学んだのは、情熱ですかね。選手一人一人に教える姿っていうのをとっても熱があるというか、選手と一緒の視点で親身になって毎晩遅くなってでも試合から帰ってきた後でも選手につきあって力を伸ばしてあげようという情熱をすごく感じましたね。その部分は受け継いでいかなきゃなと思いました。

 ―ここまでワセダの一員としてやってきて最高の出来事はやはり日本一ですか
 日本一になった実感が今でもなくて、リーグ戦のときが一番嬉しかったかな。リーグ戦はプレッシャーもあってすごいきつかったんで。勝っても浮かれる暇はなかったし、優勝して初めてほっとできました。一試合一試合目の前の試合を戦っていくだけで。先見てもどうしようもないですし、とにかく「また今日も頑張ろう」とそれの繰り返しでしたね。そういう意味ではやっぱりリーグ戦の優勝が一番嬉しかったです。

 ―逆に学生コーチをやっていて苦しかったことは
 苦しかったことはないですね。すごいポジティブシンキングで、苦しいとかって思わないんですよ。何か上手くいかないことがあっても、じゃあこうしようかとか考えて。自分一人じゃなくて周りにスタッフなり主将なり選手なり仲間がいるので一人で悩む必要がないんですよ。スタッフ対選手のことであったらスタッフで悩めばいいし、監督対学生であれば学生で悩めばいいので。苦しいっていうよりもそれを解決するためにどうしようかという風になるので、特に苦しいと思ったことはないですね。

 ―そのメンタリティーは高校時代から変わりませんか
 逆に高校のときとか大学1・2年生のときに苦しい思いをしたからというのもありますね。僕は2年の頃守備が下手くそで、ノックのメンバー入れてもらっていても当時の学生コーチの方とか応武監督(篤良=昭56教卒)とかに怒られて「バカヤロー」とか毎日言われている中で、何とかしてやろうと思っていましたし、メンバー入るためにはそのノックをクリアしなきゃならないし。ノックが無事終わらないとバッティング練習に入れてもらえないんですね。ノックが終わらないと「お前バッティングいらないよ」ってなるんで。その中で生き残るためにはどうすればいいのかって、打たれても打たれても前に進むしかなかったですから。そのときの経験に比べたら、今は考えれば何とかなりますし、自分が動けばついてきてくれる仲間がいるんで、しんどいとかじゃなくて次に次にという感じですね。

國府学生コーチの決意  ―そのついてきてくれる仲間とはプライベートでも仲が良いですよね
 みんな仲良いですからね。グラウンド出たら選手とかコーチとかないですし。1年のときはグラウンド整備しながら「整備ダリーな」とか話したり、飯食いに行ったりしていた仲間なんでコーチと選手という区切りはないですし、自分の中でもコーチというのは学生の中に与えられたポジションの一つでやっているものだと思ってるので、特にコーチだからどうというのはありませんね。

 ―オフの日には遊びに行ったり
 この前みんなで海行きましたよ(笑)。平成国際大戦の後。あの4年生ばっかりが出た試合です。話は変わりますが自分めっちゃ嫌だったんですよ。監督からメンバー言われて「絶対勝たれへんわぁ」と(笑)。そしたら4年生が「やったったらえぇやん。どちらにしろこの1試合だしやったろや」ってなって。平成国際大も弱くないはずなんですよ。先発ピッチャーも向こうのリーグでいくつもタイトルとってますし。でも打っちゃって(笑)。他の大学に申し訳ないやろってくらいに。

 ―仲が良いというのは結束力の強さにつながりますか
 仲が良いというのと結束力は違うものですね。ウチのチーム、みんなわがままなんですよ。個人個人が動いて、特に4年生、幸長にしろ本田(将章=スポ4)にしろ小野塚(誠=社4)にしろみんなで一つになろうってタイプの人間じゃないですからね。去年は宮本さん、米山さん、北崎(寛和=平19法卒、現JFE東日本)さんとかが中心にみんなでまとまってやろうというチームでしたからね。今のチームはバラバラだから逆に個人個人が自分のやりたいこと、やるべきことをわかっているから試合になればその仕事に徹することができるんじゃないかなとも思います。「みんなでみんなで」だと誰かがダメになったときに連鎖反応でみんながダメになってしまう部分もありますし。その点、一人一人が仕事をするチームは誰かがダメでも「じゃあ俺がやってやる」と。そいつが活躍すればヒーローになれるわけですしね。コーチとしてそういうところを言ってきたつもりですし。

 ―オープン戦を振り返ってチームの手応えは
 手応えなんていつもないですよ。不安で不安で仕方ない。さっきの苦しいっていうのとは違いますけど、不安は常にありますね。もっとこうしなきゃとか。何でこれができないんだとか。そうやって出た芽は一つ一つつぶしていかなきゃいけないんで。まだ練習する期間はあるんで、いま出ているミスはラッキーだと思ってやっています。手応えを感じるのは全部終わった後じゃないですかね。コーチが手応えを感じちゃったら終わりだと思うし、改善点をたくさん見つけて指摘して、一緒に練習してやっていくと。ウチのチームは強くないんでね、本当に弱くてもっとこうしなきゃって所だらけなんで開幕に向けて一日一日やっていこうと考えています。

 ―秋のリーグ戦でのヤマは
 東大1回戦から全部がヤマですね。東大相手でも勝てる気がしないんで、本当心配だらけです。

 ―社会人で野球は続けますか
 やらないです。

 ―ではラストシーズンになりますが期するところは
 夏の強化練習とか伏見でのオープン戦も今回で最後だなという話はするし、「最後だな」というのは感じるんですが、自分たちは力を出し切って一試合一試合最後まで戦っていくだけですね。決意を書いてもらった

 ―最後にラストシーズンへの意気込みを
 “一つずつ”です!

(取材・編集 斎藤 純、山田 豊) 


◆國府潤士(こくぶ・じゅんじ)
 1985年(昭和60年)7月11日生まれのA型。178センチ90キロ。鳥取・倉吉北高出身。教育学部4年。学生コーチ。






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