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| 宮本賢前主将インタビュー 3月3日 鎌ヶ谷スタジアム |


「10」を背負ったエース・宮本賢の4年間(1)

日本一の球団、北海道日本ハムファイターズから希望枠で入団を決めた宮本賢(スポ4)。投手で主将を担ったのは早大野球部史上4人目である。そして、最後のシーズンはその強いリーダーシップでチームをリーグ制覇、さらには神宮大会準Vにまで導いた。卒業を目前にした3日、日本ハムの合宿所が近くにある鎌ヶ谷スタジアムにおいて早大時代の4年間から将来についてのお話を伺った。
〜早大時代の4年間〜
―ワセダを選んだ理由は
藤井(秀悟=平12人卒)さん、和田(毅=平15人卒)さんという自分のお手本となるような左投手がいらっしゃった事が大きいですね。ヤクルト戦を見ていたら藤井さんが素晴らしいピッチングをしていて、調べてみたら早大出身で。和田さんは早慶戦で投げていましたから。やはり早慶戦への憧れというのもありましたね。
―入学時はどんな4年間にしたいと
最終目標は当時からプロ入りだったんで、早大からはプロ入りする人が何人も出ていましたし、ここで頑張れば自分もプロに必ず行けると信じてやっていました。
―1年時には4連覇にも貢献、胴上げ投手になりました
すごいメンバーが揃っていて、その中で投げられる事に喜びを感じていましたね。野手の方からもアドバイスをいただく機会があったんですけど、やはりいいバッターばかりだったんで、的確な指摘をもらえて成長できたと思います。
―2年の時には大谷投手が台頭してきました。焦りみたいなものはありましたか
大谷は入学前から有名だったし、いい刺激になりましたね。大谷が活躍すると自分ももっと頑張らなきゃという。
―3年春には先発に定着されました。ご自身の転機になったという事はありますか
2年秋くらいから結構投げるようになって、その時早慶戦で負けて慶応が優勝して悔しい思いをしたんですよ。その悔しさを冬場の練習にぶつけて頑張ったんで、その結果だと思います。あと最優秀防御率、ベストナインと初めてタイトルを取ることができて、自信になりましたね。
―4年では、投手で主将という重責を担いました。プレッシャーは
不安はもちろんありましたけど、自分たちの代は4年がすごくまとまっていて、それぞれが自分の役割をこなして下級生を引っ張ってくれたので、とても助けられましたね。本当に感謝しています。
―どんな主将でありたいと思っていましたか
最後に宮本が主将でよかったと言ってもらえるように、しっかりプレーで引っ張ろうと。自分はあまり話したりするのは得意じゃないんで。
―主将としての4年秋の優勝はいかがでしたか
主将としてというより、最後に4年生全員でつかんだ優勝だったという事が大きいですね。ベンチに入れない4年生も大勢いたんですけど、全員が一つになれましたし。結果的に脇役に回ってくれた4年生も、やっていて良かったと感じてくれたと思いますよ。
―続く神宮大会は準優勝でした
優勝したかったですね。(試合終了後に流した涙は)悔しかったし、これで全て終わったんだと思うと、いろいろこみ上げてくるものがあって。
―4年間で一番印象に残った試合というのはありますか
それはもう、全ての試合がいい思い出ですからね。特にどの試合っていうのはないですよ。
―やはり神宮のマウンドには特別な思いがありましたか
4年間神宮で試合が出来ない選手も大勢いる中で、自分は神宮でプレーできたわけで。だから一生懸命やるっていう事は当たり前で、そういう選手の分も自分が頑張らなきゃという意識はありましたよ。
―主将になって成長したなと思う点は
まずは視野が広がったという事ですね。それまでは自分の世界に入り込みやすいっていう悪いクセがあったんですけど、ベンチからの声に耳を傾けられるようになったし、逆に自分から声をかける事も出来るようになった。そういった面で、余裕を持って投げる事も出来るようになりました。
―野球以外の学生生活の面で、何か印象に残っている事はありますか
所沢が遠いなっていう(笑)1年の時は本キャンでも授業があって、所沢から高田馬場までいき、また東伏見に帰るとか。移動が大変でした。学生生活…うーん、難しいな(笑)
―最近の野球部の状況をどうお考えですか
意識しなくても勝手に耳に入るんで。最近のマスコミとか世間のフィーバーに関しては、選手たちもやりにくいだろうなって思いますよ。もちろん注目されたくてもされないところもあるわけで、贅沢な事なのかもしれないですけど。でもある程度はそっとしておいてあげてほしいですね。とにかく焦らず、結果が出なくても自分たちのペースを崩さないようにしてもらいたいです。
―現主将の田中幸長選手とは連絡をとったりしますか
よく電話で話しますよ。内容は…秘密で(笑)

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