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| 武内晋一前主将スペシャルインタビュー 3月15日 神宮球場・ヤクルトスワローズクラブハウス |


平成の最強打者、武内晋一の4年間(1)

武内晋一(人)。これほどまでに強烈に存在感を示した打者はいただろうか。東京六大学史上4位の通算打点73点。通算安打102本。4年間、全試合スタメン出場。4年間、無失策。最終学年では主将としてチームを任された。そしてプロ野球・東京ヤクルトスワローズに希望枠で入団。そんな数々の記録を残した名選手も、とうとうワセダを卒業する。卒業を目前にした15日、神宮球場で行われたオープン戦の後にお話をうかがった。
〜早大で過ごした4年間について〜
―高校時代から有名で注目されていましたが、プロからの誘いはなかったんですか
一応あったことはあったんですけど。そこで(プロに)行ってっていうよりは、大学に入っていろんなことを学んで、4年間その後行けなかったらそこまでだなって割り切って大学にいくことを決めました。
―ワセダを選んだ理由は
あんまり自分もわかってなかったんですけど、早慶戦はテレビで見たことがあったんで。高校の先輩が慶応に行ったってことで、早慶戦見て、そういうところでやりたいって思って。ワセダのほうからちょっと話があったので、それで。
―入学時には、どんな4年間にしたいと思っていましたか、目標などを持っていましたか
その4年間で野球を終わらず、その後もなんとか野球を続けられたらいいなってことでまず入って、少しでも記録を残せればと、最初のシーズン入る時に思ってました。
―1、2年時の4連覇は、どんな体験でしたか
優勝しないっていうことを全然経験しないで、これが当たり前っていうまま2年の秋までいってしまって。今考えると、4連覇のすごさっていうのは、今になってわかった気がします。
―4年時、キャプテンとしての役割は果たせたと思いますか
なんとか春優勝ってことはできたので、役割を果たせたかどうかはわかんないんですけど、一応このチームとして目標を春達成できたので、それは本当に良かったとは思います。春自分の調子が良くなくて優勝できて、秋調子が良かったのに優勝できなかったっていうのはなんかちょっと物足りない感じもありましたけど、4年になって一度優勝できたので、自分が果たしたっていうよりはみんなで優勝できたんですけど、本当に良かったと思います。
―プレッシャーは感じませんでしたか?
最初は全然感じなかったんですけど、やっぱリーグ戦入ると少しずつ感じることもありました。けど、本当にみんなでやってて、自分だけでやってるっていうかんじは全く無かったので。みんなに助けられて、いい1年間を過ごせたと思います。
―最後の秋の早慶戦では涙も見られましたが、プレッシャーから開放された、ということでしょうか
まぁそれもありますし、このメンバーでやるのも最後だったので。本当に良い仲間とであって、その仲間と野球できるのも最後だな、ってのもあったと思います。
―前主将の田中さんは武内さんと同じくプレーでひっぱるタイプだと言ってましたが、田中さんから影響されたものはありましたか
それもありますけど、もともとどうこう言うようなかんじでもなかったので。(大学に)入ってから。それは監督や色んな人にも言われてたので、ただ自分はプレーで(引っ張ろう)ってことで。
―早大の4年間で成長した点は何ですか
野球ももちろんそうなんですけど、やっぱり人間的に周りがみれるようになったこと。4年のときにキャプテンをやらせてもらって、色んな状況の中で自分のことだけでなく、周りのことも見られるようになったんじゃないかなと思います。
―4年間で、一番印象にのこったという試合はありますか
最後の早慶戦ですかね。最後勝って終われたっていうのもありますし。
―4年間で特に印象深い出来事は何ですか
4連覇ってのは、今思ってみると本当にすごいことやったんだな、と思います。
―入学する前と今で、一番変化したことは
…体重ぐらいじゃないですか。(笑)
―10キロぐらい減りましたよね?
もうちょっとですね、15か20ぐらい減ったんじゃないですかね。
―意識して減らそうと?
最初はそういうのもあったんですけど、4年になってからはそんなに意識してなかったです。今は一番やせた時よりはあるんですけど。それが一番変わったかな、と。
―ちなみに大学生活という面では4年間振り返っていかがでしたか
うーん…、単位だったりだとかは大変でしたね…。最後もけっこうギリギリで、なんとか卒業できて。でも、こう卒業できて、単位が足りってたときに思うと、1,2,3年で学校行ってやってたのが本当に良かったなと思います。

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